ブライトンの公立カレッジで半年間の英語コースを終えた私は、ロンドン芸術大学のコースに進学するためロンドンに引っ越しました。ブライトンにいた間に、ロンドンでの住居をインターネットで検索していたところ、偶然ある女性専用のドミトリーを見つけました。そこはロイヤルファミリーがチャリティで運営している施設だったため、ロンドンの中心部ヴィクトリアにあるにも関わらず信じられないくらい賃料が安かったのです。引っ越し前に実際に訪問し、入居の申請書を提出し、オフィスのマネージャーのインタビューを受け、無事にそのドミトリーへの入居が認められました。

 

そこはなんと築約250年!イギリスらしいレンガ造りの建物で、ウエストミンスター寺院からほど近いところにありました。その中に世界中から集まった女性が定員いっぱいの65名暮らしていました。住人の国籍はと言うと、イギリス人、フランス人、スペイン人などのヨーロピアン。ケニアやガーナなどアフリカ各国の人々。インド人、韓国人、中国人などのアジア人。日本人は私を含む4名がいました。まさに世界中から集まった年齢も職業も千差万別な女性たちとの共同生活が始まりました。

 

部屋は、最初は必ず相部屋に入居しなければならない規則になっていて、個室を希望する場合はウェイティングリストに名前を記入しておき、空きが出たら順番に個室に移動できます。私は、最初はジャマイカ人女性と同室になり、一か月ほどその女性とルームメートになりました。生れて初めてのルームシェア。しかも生れて初めて会うジャマイカ人の女性。せっかくだから楽しもう、仲良くなれるかな、とドキドキしていた私でしたが、実際のところ彼女とは生活リズムが異なり、ほとんど会う機会も話す機会もないまま私は個室に移ることになりました。そして、約一年間、共用のシャワールーム、トイレ、キッチン等を除いてはプライバシーが保たれるシングルルームで生活できました。

 

食生活はどうしていたかと言うと、その建物の半地下に大きなキッチンとダイニングがあり、ガスコンロやシンクなどがたくさん並んでいて自炊できます。冷蔵庫は一台を5,6人でシェアします。包丁や鍋などの調理器具、食器などもすべてそろっていたため何も買いそろえる必要がなく、入居の日からすぐにキッチンで料理することができました。「イギリスの包丁は全然切れないな。これなら日本から持ってきた百均の果物ナイフの方がよっぽど切れるよ」などと思いながら料理したものです。

 

キッチンとダイニングではたくさんの友達ができました。だいたい住人の生活リズムが決まっていると、毎日会う人の顔ぶれも自然と同じになります。よく話をしたのは、フランス人の社会人二人組、教会のコーラスに入っているイギリス人女性、韓国人の留学生のグループ、ケニア人やインド人の大学生たちでした。彼女たちの国籍からいろんなアクセントの英語が聞かれることが想像できるのではないでしょうか。まさにその通りで、そこではみんながお国訛りのある色々な英語で話していました。でも、ほとんどの人が大きな声で堂々と話すので、特徴がある英語のアクセントにもすぐに耳が慣れます。やはり大きな声で話すことはコミュニケーションを取るうえですごく大切なことだと気づかされました。私も彼らと話をする時は、まるで家族と話す時のように、リラックスして、英語の間違いを気にするよりも会話自体を楽しんで話ができるようになっていきました。彼らとは、お互いの家族のこと、仕事や学校のこと、ロンドンで美味しいカフェのこと、その日あったちょっとした出来事など、いろいろな話で盛り上がり、話題が尽きることはなく、おかげでホームシックにかかることも一切なく、英語で話すことの楽しさを心から感じることができた毎日でした。

 

さて、ここでの共同生活、必ずしも順調なことばかりではありませんでした。日本では人との争いを好まなかった私ですが、ここでは何度か自己主張をしなければならないことがありました。何があったかと言うと、原因は洗濯室にある洗濯機でした。半地下にはキッチンの他に、共同で使う洗濯機が数台あり、一回使用するごとに1ポンド硬貨を入れる仕組みでした。ただ、この洗濯機、私が一ポンド硬貨を入れても反応しないことが頻繁にあったのです。他の住人が入れると動き出すのに、私が使う時だけなぜか作動しないのです。その度に私はオフィスに報告に行き、硬貨の返金を求めました。洗濯はたいてい夜にしていたので、オフィスに残っているのは当直のセキュリティオフィサーのイギリス人男性のみ。私があまりにも頻繁に来るので、ある日そのセキュリティオフィサーがため息交じりに言いました。

「また君か。あの洗濯機はドイツ製だからな。ドイツ製品のせいだ。イギリス人のせいじゃない!」

その言葉に呆れた私は、こう言い返してしまいました。

「私だって来たくて来ていません。それに、もし日本製だったらこんなことはないと思いますよ!」

ここでの生活を通して、そんな皮肉も英語で言えるほどたくましくなっていた私でした。

 

 

ロンドンのドミトリー外観

 

島根大学 英語コミュニケーション講座講師 Cathy