キャビンアテンダントになりたい!!

 

私は当時大学に通いながらダブルスクールをして客室乗務員を目指していました。当時は正直にお話すると家庭環境から飛行機をよく利用することがあったことや世界中を飛び回りたいという動機だったと思います。

 

全く足りていない英語力に加え、客室乗務員の仕事について業界研究も浅かったため、数十社受けた採用は全滅。ここで、当時においては今までにない挫折を味わったことを今でも鮮明に覚えています。

 

その後も「後悔しないと思うまで諦めない!」という思いで、社会人になってからも試験を受け続けようやく客室乗務員になりました。その経験から学んだことをお伝えしたいと思います。

 

間違いを恐れない積極性

 

私は、台湾の航空会社にて働きました。3ヶ月、専門の施設にてかなりスパルタな訓練を受けました。詳しくはお話しできないものの数回ミスすれば強制帰国。内定をもらっている状況でも日本行きのチケットを渡され帰国しなければなりません。そのような環境に最初は対応できずストレスを感じる時もありました。

 

「でも、このまま耐えているだけ。ただ訓練をこなすだけってどうなんだろう。教官は今までに出会ったことがないほどの厳しさ。でも・・・。」正直訓練は想像以上に厳しい。ミスは許されない。でも冷静に考えれば、お客様の命をお預かりする保安要員としての仕事が私たちに一番求められていることだと考え、原点に立ち返りました。

 

本物さながらの飛行機の中(モックアップ)での緊急事態を想定した保安訓練では、

教官の英語と中国語での説明で分からないことがあった際、今までは後で日本人の仲間にこっそり聞いている自分がいました。しかし、間違ってもいいから質問してみる。怒られることばかりを気にする自分の殻を破りたい、という気持ちで訓練の説明や訓練中で分からないことがあれば聞く姿勢を大切にするようにしました。

 

時にはあまりに簡単な質問をしてしまい叱咤されることもありましたが、自分の意思表示をすることをやめないことを心に決めて3ヶ月過ごしました。本当に人生で5本の指に入るほど過酷な訓練でしたが合格証を手にした時の感動は今でも忘れません。その3ヶ月で業務に関する知識だけでなく、間違いを恐れず積極的に発言する力を養いました。

 

実際のフライト生活

 

その力は実際のフライト生活でも活かすことができたように思います。基本的に台湾人ベトナム人、タイ人などとフライトしますが、日本人は一機につき1.2名しか乗務しません。基本的に機内での会話は中国語。私のために英語を使って話しかけてくれるという環境でした。私は、もっと仲間と一緒に自然に話したい。と感じたり、お客様の言っていることがわからず「もういい!!」と言われてしまったこともあり情けなくなったことも多々ありました。何のために私は日本人として、台湾の会社の飛行機でお客様に接しているのか・・・。中国語でのコミュニケーションを避けては通れない環境の中で、何度も辛い思いを経験しました。

 

語学の壁を乗り越えるために、同僚の台湾人客室乗務員にフライト後に中国語を教わることが習慣となり、彼女は中国語を台湾の文化を交えながら教えてくれ、少しずつではあるものの中国語を身につけることができ、心の支えとなりました。いつの間にか台湾―日本線が多くあったため日本語を学びたいという台湾人乗務員が増え、いつしかお互いの言語や文化を教え合う会ができていました。

 

そのことで毎日多国籍の仲間と働くことがどんどん楽しくなっていきました。時に意見がぶつかることもありましたが、自分の素直な意見をぶつけることでかえって仲間とアイディアを出しながらフライトすることができました。

 

また、客乗乗務員の仕事を終えた後も、私を支えてくれた台湾の仲間への感謝の気持ちから、今度は私が英語や日本語を学ぶ人の手助けがしたいと思い、英語・日本語教師になりました。今では約30カ国の学習者への指導を行っています。

 

これからもこの経験を活かして、言葉や文化の壁を取り払い一人ひとりの夢に実現のサポートができる人でありたいと感じています。

 

 

立命館大学 英語コミュニケーション講師

Stacy