英語というツールを手に入れることは、息苦しかった日常から抜け出す切符を得たようなものだった。自分のいる環境に違和感を覚え、逃げ出したいと思ったとき、英語を勉強するという口実は海外に出るには好都合だった。

 

しかし、実際に海外に出るということ、まったくのよそ者として暮らすことは、実に英語を学ぶ以上の気づきや学びを私の人生に与えてくれたと感じる。井戸の中の蛙とはよく言ったもので、飛び出してみないとわからないことはたくさん存在する。一つの事象は180度違う角度で見ることができるが、自分と真逆の見方があることを実際に目にすることで実感できるのだ。

 

この講座を受講する学生がすべて英語好きで海外に行きたいと思っているかというと、まったくそうではない。逆に英語が苦手だとか、海外に行きたいとは思ったことがないどころか、「私は一生海外に行くつもりはない」と断言する学生もいる。海外が遠くて、でもどこか眩しく感じていた自分の大学生時代と比べ、こんなに海外に行きやすくなり、また英語に関する情報も豊富な今、もっと軽いフットワークで海外に行ってみればいいのにと思ってしまう。かと思えば、自分が漠然とした憧れだけで行ったのに比べ、明確な目標を持って海外を目指す学生もいて、私もあんな風に真剣に取り組んでいたら人生変わっていただろうかと自問自答しまうこともある。

 

言語そのものは、その言語を話す国に行かなくても勉強できるし、コミュニケーションできるようになることもある。実際、英語圏の国に行ったことがなくて、英語を話す人は存在する。しかし、その言語を話す国に行って、そこに住む人々の生活を経験し、その社会に身を置いてみることによって、言葉が圧倒的な温かさをもってやってくる。本の中や画面の中にはない、人間の体温をもって伝わってくる。そして、自分も自分という人間を通して言葉を発し、コミュニケーションを行うのだ。その経験は、やはりその土地に立って、息をすることで感じ得ることだ。

 

この講座では、英語学習だけでなく、コミュニケーションということに重点が置かれている。まさに体温をもつ人間同士の触れ合いの素晴らしさを経験してもらいたいと、講座を担当しながら常に感じている。英語は望遠鏡だ。外の世界を見る望遠鏡。望遠鏡の性能はいいに越したことはない。だからぜひ英語力を伸ばしてほしい。でも、望遠鏡ばかり覗いて満足してほしくはない。レンズの向こうに広がる世界に実際に足を伸ばしてほしい。そして、向こう側から望遠鏡で日本を見てほしい。きっとその景色は見慣れたものとは違うはずだ。この講座が受講生にとって、そんなきっかけになってほしい。この講座はみんなの世界への出発点なのだ。

 

1993年、米国ジョージア州の大学で日本語を教えたときの学生と。(一列目真ん中が私)

 

☆香川大学・四国学院大学担当講師

Emma