中学校の英語の授業で初めて英語に触れ、最初のテストで自分の名前を全て小文字で書いた為に✖️がついた所から私の英語嫌いはスタート。

 

dakotaでも良いではないか!! Dakotaと何処が違うの?!と言うのが中学生の時に英語に初めて触れた時の感想。

 

そんな私の心を知ってか知らずか、中学生の時にアメリカへのホームステイを母に薦められたのがアメリカを意識するキッカケ。

 

もちろん当時の私は「英語が嫌い」。でもその時に何故か「高校になったら行く」と答えた私。

 

自分で決めた言葉の通り、高校2年生の夏休みに初めてのアメリカへ1ヶ月のホームステイ。事前にホストファミリーへ書く手紙も「何を書いているか全然わからなかった」と言われる位のお粗末な英語力。ただ、当時からリスニング力だけ良くて、相手が何を言っているのかだけ結構わかっていた事がいろんな意味で私の英語学習を更に複雑にしていた。

 

最初のホストファミリーとは上手くいったとは言えないが、そこから英語への苦手意識は薄れた。その後努力しなくても英語への興味が湧いたおかげで高校の英語の成績は良くなった。その後自然とアメリカの大学へ留学する流れが出来たのは確か。私は元々普通高校の中でも商業コースだったので、友達が殆ど就職する中で唯一のアメリカの短大進学。進学自体もクラスに2人位だったか….

 

商業系だとグラマーのクラスはなく、もちろん最初は語学力も足りないので、英語学校から。グラマー, ライティング, スピーキングなどのクラスは他の高校卒業生と同じ様なクラスながら、何故かリスニングクラスだけは大学卒業の人達と一緒。そして得意なのはリスニングだけの勢いで短大入学条件を予定より早くクリアし、英語学校の日本人の仲間たちと勝手に短大入学手続きをして進学。

 

英語学校でも周りに出来る日本人がいると、英語を喋るのはその人達任せ。自ら喋らなくても進学に成功。結局最初の留学ではほぼ喋る事はなし。聞けるけど、喋れない日本人留学生の出来上がり。

 

喋らないくせに、多くの日本人が当時好んで専攻していた経済は「絶対イヤだ」と思って、日本人のいない専攻へ。英語も授業も良くわからないままだったが、日本人が取っていない専攻でも、周りに恵まれたおかげで、全く専門用語わからないままなんとか短大の単位取得。

 

英語学校時代の友達からはいまだに私が英語を喋ると言う事を信じてもらえない。それ位喋らなかった。

 

そんな私からすれば、今の英語コミュニケーション講座の受講生は凄いとしか思えない。私の一番の苦手意識は「日本人同士で英語を喋る事」。周りは私よりスピーキング力が高い人ばかりだと思っていたので、「私が喋っても仕方ない」とひたすら貝殻状態。

 

この当時の私の経験から伝えたいのは、とにかくチャレンジしてみることの大切さ。いくらでも英語を喋らない言い訳は出来る。でも、その中に英語を日本人同士でも喋って次に進もうと思える理由を自分の中に見出せるかと言う事。

 

直接英語を喋ると言う事でなくても良い。私のように積極的に喋るつもりもないけど、喋らなければいけない状況を作ると言う意味で部活に入ると言うのも有り。私の場合は短大でも、その後再留学した大学でも水泳部に入る事でその状況を作り上げた。何でも良いが、自分が心地良い環境で英語を使わざる終えない状況を作る事が英語に本気で取り組む最初の一歩ではないだろうか?

 

1995年米国カリフォルニア州Saddleback Collegeの水泳部のチームメイト達と。地区大会でチーム優勝した時の写真。

 

☆ 山口大学・下関市立大学担当

Dakota