思春期の頃はだれもがいろんな意味で生きづらさを感じる時期だろう。ここでこんな風に私は生きるのではなく、きっとどこかに私が私らしく生きる場所があるはず・・・。そんなことを思うのは私だけではないだろう。

 

そんな気持ちで悶々としていた私が外の世界に目を向けたのは自然なことだった。そしてはまったのが洋楽。イギリスのおしゃれなポップ音楽やアメリカのロック、そして歌っている彼らは中学生の私にはとにかくカッコ良すぎた。ここだ!ここが私の生きるところ!と信じたことが、私の英語人生のスタートだったと思う。

 

実は中学生の3年間の英語担当教師のことが好きではなかった。理由はまたこれも単純な、とても思春期っぽいもの。「あの先生、なんか気持ち悪いからいや〜。」結果、英語の成績は平均点が取れないくらい下がってしまっていた。そんな私の救世主が、洋楽。洋楽を聞き、歌い、いつか彼らに会うのだという、単純な夢みる少女の心は「先生、きら〜い」というネガティブな気持ちに勝ったのだ。

 

そして私が目指したのは、修学旅行でアメリカでホームステイができるという、英語に力を入れている地元の高校だった。目的はアメリカ行きだ。そしてこのアメリカ行きが私の心の鍵を回してくれたのだ。

 

高校2年生の夏、その時はやってきた。10日あまりの滞在、英語もほとんどわからず、でも、初めてのパスポート、初めての飛行機、初めての海外に不安よりもワクワクが大きかった。シアトル郊外の街でホームステイしたホストファミリーは、今思えばごくごく普通の中流家庭。両親と子供は男1人、女3人の4人。そのうち3番目の子がGinaという名前で同じ歳だった。滞在中にGinaの友人が何回か遊びに来た。それぞれが自分の好きな服装、髪型(髪の色もいろいろ)、化粧をしている姿はそれだけで刺激的だった。一番下の娘は当時9歳くらいだったと思うが、毎日水着姿で過ごしていて、それも許されていた。なんだか単純に「あ、好きなことしていいんだ」と納得したことを覚えている。家族もみんな仲良くて、必ず手を繋いている歩くホストファミリーの両親の姿は衝撃だった。自分の両親のそんな姿見たことなかったから。

 

英語もろくにできない、日本からやってきた女の子をあたたかく迎えてくれたホストファミリーとの経験で、私は私でいいんだって、心の鍵がカチッと回った気がした。そして、このときに英語を使ってちゃんと自分の言いたいことを伝えられなかった悔しさが、そのあとの英語人生につながっていった。

 

海外に行く、慣れた自分の居場所から離れてみる−それは自分を別の角度から見るチャンスを与え、自分を知るきっかけにもなる。「私は私でいいんだ」と自分で自分を認められることが当時の私には必要だった。私にとって、初めての海外はそんな場所だった。もちろんその後の海外経験ではいいことも悪いこともあったが、初めての海外は所謂初恋のような大切な思い出であり、そして英語を人生のツールとして使うまさに今の私のスタート地点だった。

 

1985年ホストファミリーのGinaとTammyと シアトルにて

 

 

☆英語コミュニケーション講座講師

ニックネーム:Emma

香川大学/四国学院大学 担当