改めて、英語と自分の関係って、何だ?と考えると、いきなり迷宮に入り込んでしまいそう(笑)・・。そんなことまじめに考えたこともないもんね。あまり難しく考えずに、自己紹介をかねながら、これまでの人生の中での英語との“お付き合い”をざくっと振り返ってみようかな。

 

中学・高校では進学校で、当たり前のように「受験英語」を学んでいった。高校の時に1学年上の英語の先生の授業が増えることになり、その初回の授業が今でも忘れられない。先生がテキストを読み始めたとたん、ぶっ飛んだ。聞いたことがないほどすばらしい(と感じた)日本人英語だったから。

 

何年もお経のような受験英語に慣れていたのでその衝撃は今でもテキストの一文が出てくるほどのインパクトで、その先生の授業が楽しみでしょうがなかったなあ。先生の影響を受けて、英和中辞典の巻末の付録で(笑)、発音とか舌の使い方とかを自分なりに研究したもんだ。これって、今でも生きてるね、一部はできてないままだけど・・。

 

受験英語を適当にやりこなして、大学に入ってからは英語とは程遠い、ひたすら怠惰な学生生活。アティーナのコミュニケーション講座のようなありがたい授業など当時には存在しないし、あったとしても興味もなく、せいぜい洋楽の歌詞を覚えて口ずさむ程度の希薄な英語との関係・・。キャンパスは、うさんくさいとっちゃんボウヤみたいなやつばっかり、女子も歩いてない、ましてや外国人なんて・・・、国際色も何もなく、英語へのモチベーションなんぞ生まれるはずもなし。唯一、前述の洋楽の歌詞と歌い回しを覚えたのは後々役に立った。♬~ while my guitar gently weeps~♬ 今に思えば立派なDaily rhythm and sound trainingになっていたなあ・・。

 

工学部で学び大学院まで行ったので、就職は研究室の太いパイプで日本の大手企業に進むのが王道パターンだった。というか、当時そうしない奴ははっきりいってアホだった。しかし、私はそのアホの一人だった。みんなと同じことをするのが嫌で・・、というのは言い訳で、こいつらと同じ道を歩めるはずがない、と自嘲し、別の道を選んだ結果が、自由応募で学生を集めていた外資系企業。

 

老けた学生だったがなんとか入れてもらって、親方星条旗企業の工場でのモノづくりのキャリアがスタートした。

 

プロモートしていくにつれて、グローバル企業の英語の部分がどんどん大きくなって、英語が使える使えない(注:できるできない、ではない)はキャリアの死活問題となっていく。会議に一人でも外国人が入れば全編英語、レポートは簡潔な英語で所謂ワンページスタイル、社内メールは日本人同志でも英語、上司はもちろん部下にも外国人、そんな環境の中で、ビジネスコミュニケーションツールとしての英語を必然的かつ実践的に身につけていった。まさに生きていくための英語だったね。もちろん、打ちのめされたこと、逃げ出したことも数あまた。悔しい思いをしながらも、己のアイデンティティだけは見失わないようにした。気がつけば ”Think global, act local.”が座右の銘となっていた。

 

3社のグローバル企業を経験、卒業し、いまに至っている。結局今も残っているのは英語だった。今やどこの大学でも国際色が強まり、外国人留学生にあふれ、アティーナのコミュニケーション講座をはじめとする英語クラスも星の数ほど。英語を身に付けたい学生にとっては、あまりある好環境である。グローバル人材って、あまり好きな言葉ではないが、自分のアイデンティティをしっかりもった日本人が地球儀を舞台に活躍する世の中であってほしい、と常に思っている。(あっ、それってグローバル人材?!)

 

今の私にもっとも身近な英語の”お付き合い”はラジオ!!VOA (Voice of America) を流しっぱなしにすることが多い。ながらで聞いているので、英語に常に触れているとはいえないが、音楽が流れているときは英語スイッチをオフにしてBGMとして聞き流す。ニュースが流れると興味ある内容であればスイッチをオンにしてリスニングに集中する、という感じかな。案外これが適度なbrush upになっている(気がする。) 

 

あれっ、自己紹介になったかなあ(笑) こんなオッチャンです。。。

 

1989年4月 P&Gに入社した当時。一番右が私。

 

☆英語コミュニケーション講座講師

ニックネーム:Jie