こんにちは。広島大学担当のMackです。 

 

私は3年前日本に戻って暮らすようになるまで計19年の海外生活を経験しました。今は周囲の人たちにはとても日本人離れした感覚の持ち主のように思われていますが、元々は皆さんと同じように普通の日本人の若者でした。 

 

私がそもそも外国で暮らすことになったのは他の人のような 「外国で勉強したい」とか「外国人と友達になりたい」といっ た夢があったからではありません。もっと消極的で「日本に馴染めないから」「日本に居場所がないから」といったカッコ悪い理由だったのです。    

 

今でこそ「生きづらさ」という言葉が聞かれるようになりま したが私が若い頃はそんな言葉はありませんでした。ただ社会に上手く馴染めない心地よい居場所を見つけられない人は我慢するか自分を曲げる以外には逃げ場はなかったように思います。私もその原因がよくわからないままに無理をしたり自分を責めたりして若い頃を過ごしましたがいよいよ居場所が無くなってしまった時に逃げ出したのが外国だったわけです。ね、カッコ悪いでしょ?      

 

カッコ悪い理由で逃げ出した外国でしたが、そこで私はとても大きな発見をすることになります。私がどうして日本では生きづらかったか?という原因です。それは私に欠陥があったわけでも負け組だったからでもないのです。    

 

そのことを発見することになったきっかけは当講座でおなじみの「英語スイッチ」でした。

 

英語でコミュニケーションする文化で生きていくためには日本で培ってきた考え方や表現の仕方、はたまた自分という存在の在り方まで全てを変える必要がありました。 

 

例えば英語でコミュニケーションを取る社会では自分の意見や意思をはっきり伝えるということがとても重要になります。集団からはみ出して一人で行動したり自己主張をすると疎外されてしまう日本社会とは全く異質の社会です。    

 

その中で一人前の人間として認められ行動できるようになるためには「英語スイッチ」をオンにして意見を述べる、自分の意志を貫く、他人の目を気にしないといった、それまで日本でしたことのない行動を取る私に変わらなければならなかったのです。    

 

それはそれで苦労もありましたが、不思議なことに日本であんなに苦しんだ「生きづらさ」は跡形もなく消えてしまったのです。       

 

つまりこういうことです。日本であんなに私が辛かったのは本当は日本でも「英語スイッチ」オンのまま自分の意見を述べたり意志を貫いたりしたかったのに、それが許されない 社会だからと我慢したからだったのです。    

 

自己を持つことを要求する文化ではその代わりに異質な存在や意見に寛容です。日本の「なんとなくみんな同じ」の社会に馴染めなかった私は「色んな意見や考え方があっても良い」社会にとても居心地の良い場所を見つけることができたのでし た。 

 

すっかり変わってしまった私なので3年前に日本に戻ってきた時にはとても不安でした。また居場所を見つけらなかったら どうしよう。    

 

けれどもほとんど20年振りに戻ってきた日本社会で気が付いたのは、今は「生きづらさ」の原因が認識されていて「色んな意見や考え方があっても良い」という感じる人が以前よりもたくさん居るという事です。それからこれからの社会は海外で活躍する時はもちろんのこと、日本社会も「英語スイッチ」オンで自分の意見を述べたり自分と異質の考え方を認めたりできる能力のある人材を必要としているという事です。    

 

折しも世界は歴史的な転換期にあります。With Corona、 Post Corona の時代を生きていく学生の皆さんに、私が長い間海外生活で苦労して身に付けたこの「英語スイッチ」の極意を伝授できればとても嬉しく思います。 

            

2016年5月にマレーシアの島で開催したヨガリトリートで。ドイツ人、ブルネイ人、インド人、オーストラリア人、中国人のヨガの生徒さん達と。(一番左手前が私)


 

⭐︎英語コミュニケーション講座講師

ニックネーム:Mack

広島大学担当