「ホームステイ、してみる?」
 

まだ海外旅行が珍しかった時代、両親の目にとまったシドニーホームステイの地元新聞の公募。進路が未定だった高一の私への、素敵な提案だった。県内から集まった8名ほどの中高生が主催者に引率され、全く日本語が通じないオーストラリア人宅で2週間一緒にホームステイをする、という企画。明確な目標はなかったが「いい経験になるから」参加決定。

 

ネットもない時代に見た異国の光景は、全てが珍しく、新鮮で、不思議だった。タフで陽気でユーモア抜群のホストマザー、全く聞き取れないキッズの英語、10時間かけて訪れた農場で一緒に踊ったイケメンのお兄さん、後にも先にも見たことのない田舎の満天の星空、南半球でしか見られない南十字星、至る所にあるココシャネルの看板、町で話した超ビジュアル系の優しいパンク集団、そして気づいたら固い絆で結ばれてたホームステイ仲間・・・30か国以上訪れた今でも、初めての海外、シドニーの事は鮮明に覚えている。

 

帰国後は迷わず進路を英語系に。ここから私の英語人生が始まるのである。
 

現地ではまったチョコレートを毎日食べていた私を’Chocolate’と名付けたホストマザーとその親友である主催者とは、しばらく連絡が途絶えたが、SNSのおかげで何十年ぶりかにネット上で偶然の再会を遂げ、いつか会う約束をしている。

 

大学時代は大勢の日本人と共にカナダに留学し、英語そっちのけで日本人仲間と海外生活を満喫。1年後の私は、思い描いてた「行けばペラペラに変身」からはほどかった。

 

しかし友達運はいい私。ネイティヴで唯一親しくなった親切なバディ(注)と、毎年クリスマスカードのやり取りをした23年後、当時私が住んでいたニューヨークで奇跡の再会を遂げたのであった。留学時代にあやしい英語でコミュニケーションをとっていた私が、自由自在にマンハッタンを案内し、心を通わせて会話を楽しめたひとときだった。

 

結婚後に駐在した香港では、カナダでの教訓を生かし、片っ端から外国人の友達を作る努力をした。まだスマホのない時代ではあったが、仕事やネットの交流サイトを通して数えきれないほどの外国人と出会い、グローバルなものの見方を養った。地球上どこに住んでいても、お互いの土地を訪れ合う生涯の友が何人もできた。

 

出産後に住んだニューヨークでは、子育てを通じて世界中の人と知り合いになった。今でも家族ぐるみでつながっている。(ニューヨークの話は次回のお楽しみ)

 

10年に及ぶ海外生活と世界中を旅した今、私から現役英語学習者である皆さんに伝えたい。それは、英語は「世界中の人とつながる最強のコミュニケーションツール」だということ。その先にあるものは「確実に視野が広がる」楽しさ。そして「心を通わせて異国の人と話ができる」喜び。英語は私に、色々なチャンスと世界に向ける目を与えてくれた。英語人生へのきっかけを与えてくれた両親に大変感謝している。そういえば私の名前は「洋子」だ。父親は「さすが太平洋をまたにかけてる!」と時々冗談を言う。


英語圏に住んでいるからと言って、自然に英語は上達しない。重要なのは「どこに住むか」ではなく「いかに英語環境を作るか」だ。英語講師をして16年。海外生活を送るたびに前進してきたのは確かだが、日本で日々教えるレッスンとその準備の中で、私自身もどれだけたくさん学んできたか分からない。時代と共に変化し、文化と深く結びついている語学にゴールはない。高校時代に思い描いていた「英語を喋る‘なりたい自分’」はとっくに超えている今でも、経験や知識が化石にならないように、新しく出会う英語を楽しみにしながら、今この環境でできることをやる。それが人生の次のステージで、自信と成長につながると思っている。

 

注)留学生のお世話をしてくれる地元の生徒

 

写真:1991年11月 勢いでコミュニケーションを取っていたカナダ留学時代(右)。カナダ留学時代の大親友Melanieと。

 

☆英語コミュニケーション講座講師 

ニックネーム:Candy

下関市立大学担当