頭からペン先のみに繋がる「一人完結型」の高校英語を、誰かと繋がるための力として自分のものにしたい、そんな気持ちで英語講座を受講した。

 

 

英語が上達することを期待しての受講だったが、英語力だけではなく、英語力をフルに発揮するための『心構え』さえも学び、英語講座の講座生・サポーターとしての時間が私を大きく変化させた。

 

 

人前での発表は当然のこと、自ら進んで手を挙げて発言出来ないほど内気で失敗を恐れていた私であったが、今では人前でも堂々と発表するし、他人からの批評を恐れず意見も言う。

 

在学中はNPOにコンタクトを取りカンボジアへの調査に参加したり、半年間アメリカフロリダ州のWalt Disney Worldでのインターン「Disney International Program」にも臨んだ。

 

とはいえ、未だに英語はペラペラとまでは言えないし、劣等生としての自分もいる。

ただ、そんなことは重要ではないと、社会人として5年経った現在気づいたことがあったので今日はそれを伝えたい。

 

 

英語講座の受講・サポーターとして活動を通じて得たものは大きく分けて2つある。

 

1つはもちろん『英語力』、2つめは英語以外の『人間力』。

 

英語力というのは、英語がペラペラになるということではない。

 

日本語や日本人という限られた空間以外に出会ったときに、壁を作らない、またはその壁を低くする方法を知っているということである。

 

 

 

冒頭のDisney International Program中、Animal Kingdomにてcastとして働いていたとき、ある家族と出会った。

 

ヒスパニックの女の子とお父さんで、商品購入後、女の子が私に話しかけた「お父さんが○○って!」(内容は忘れてしまった…)。

 

私はお父さんに返事をしたがお父さんはニコニコしたまま。

すると女の子がお父さんにスペイン語で訳しつつ手話も同時に。

 

お父さんが手話で返答。その内容を女の子が私に英語で伝えてくれた。

 

それから私たちはしばらく、英語、スペイン語、手話に身振り手振りを加えながら一期一会の出会いと時間を楽しんだ。

 

 

私はこのとき確信した。

 

 

「言葉ありきの繋がりではない。人と繋がるために言葉がある。」

 

 

私達は話せるから話したのではない。

 

話したいと思ったから話したのだ。

 

相手が伝えることを理解するため、自分が思うことを伝えるために言語を利用したのだ。

 

 

 

「間違った英語を話すのは恥…。もう少し上手くなったら挑戦したい」

 

 

と思う人は多いのではないだろうか。

 

少なくとも私はそうだった。

 

何かと理由をつけて、自分が傷ついたりみじめな気持ちになったりしないように、失敗しそうな場所から自分を遠ざけて「まだできないだけ、もう少ししたらできる」と、現実から逃れ続けた。

 

 

だが断言したい。

 

 

今の延長線上にしか未来はない。

 

そして実践なくして上達はありえない。

 

私はアジア系の人とは英語は話しやすく、アフリカ系の人が話す英語は聞き取りづらい。

 

おそらく母国語の発音が第三言語にも影響しているからだと思う。

また、英語圏の人の英語も聞き取りづらかった。

 

話すスピードが早く、ネイティブ特有のリズムや音の消え方が難しかった。

 

気持ちが萎縮してしまうのも大きな要因だったと思う。緊張して耳がいつも以上に機能しなかった。

 

 

私は実践英語の中でそういった事実を知ることができた。

 

 

そして、何が自分に足りないのかや、他と比べての自分の特徴も知ることができ、次に向くべき方向が見えた。

 

ただ、こんなふうに時間を割いて自分に向き合い、準備する時間がどれだけの人にあるだろう?

 

 

私の英語講座サポーターOBOGの知り合いには、1年の半分を海外で仕事する人、英語教師をしている人、国際結婚して移住した人、海外で仕事についている人、職場に外国人がいる人などがいる。

 

この人たちは自ら選んでその環境に入った人達だ。

 

でもこれからの時代、自分の準備ができていなくても英語使用域は確実に広がる。

 

教師や保育士になったら生徒に外国の子、看護師になったら患者に外国の人。

 

駅員になって、店員になって、会社員になって、お隣さんに外国の人が引っ越してきて、家族の誰かが国際結婚をして…。

 

 

こんなの珍しいことじゃなくなる日が必ずくる。

 

そして、その日は確実に近づいている。突如訪れてもおかしくない。

 

そういうときに「Hi !」と笑顔で話しかけられること、声をかけられたときに困った顔をせずに笑顔で接せられること。

 

英語が分からないから知らない、関わらないではなくて、片言でも理解し合おうと言葉を交わそうとする姿勢。これがすごく重要に思う。

 

 

「Japanese living on earth(地球に生きる日本人)」として、英語ということだけで障壁を持たないこと。

 

 

この簡単で小さなことが、自分の人生に大きな違いを生み出していくと、社会人になった今、私は確信している。

 

 

 

ちなみに私は現在、法律事務所で働いているが、相続人の中に外国人がいてその人とのメールのやりとりを翻訳したり、証明書を海外から取り寄せたりすることもある。プライベートでも情報に偏りを持たせないために海外のニュースサイトを見るようにしている。日本語以外でのやりとりを難しく思うときはあっても辛く思うことはない。

 

 

それは英語講座を通して、 英語力を磨き、同時にコミュニケーションに対する障壁を取り払ってきたからだ。

 

その時間が、今、私の選択肢と可能性を広げてくれている。

 

 

英語以外では就活のネタになること、就活で堂々とした姿勢で臨めること、協調性、スケジュール管理性、企画力、発表力、観察力、対応力などが鍛えられ、その全ては社会人になってから役立っている。詳細はきっと他の人が述べてくれるから今回は割愛する(笑)(あるいはまた話せる機会があればそのときに…笑)

 

ただ、断言できるのは、英語講座で学んだことで何一つ無駄なものはなかった。

過ごしてきた時間の全てが、責任感を持つ社会人としての今につながっている。

 

 

☆元リーダー・サポーター紹介

講座でのニックネーム:Sayaka

担当大学名:徳島大学

講座受講年:2010年

サポーターとして活動した年月:2011〜2012年

現在の仕事内容:岡山の法律事務所での法律事務

 

↑アメリカ フロリダ州のWalt Disney Worldでのインターン「Disney International Program」中にAnimal Kingdomの「Expedition Everest」というショップで働いていた時の写真

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アティーナ