記憶にある限り、英語との個人的な付き合いが始まったのは10歳の頃。
The Beatlesの曲を歌いたくて、母に読み仮名をふってもらってYesterdayを歌った。歌詞の日本語訳も付けてもらった。
ここから、怒涛のような洋楽ライフが始まっていれば、このエッセイもどれだけ書き易かったか知れないが、そうは問屋が卸さなかった。(この問屋が云々という言い回しは果たして若者に通じるのだろうか?甚だ疑問。)
しかして実際に始まったのは、学校での受験英語教育だった。
大学受験当時の私にとって英語は、好きでも嫌いでもなければ得意でも不得意でもない一科目に過ぎなかった。
強いて言えば、構文の解析は好きだけど、単語の暗記には閉口するといった具合で、あまり真面目な受験生だったとは言い難い。
転機が訪れたのは大学時代。イギリス遊学に始まる海外体験がきっかけだった。
大学に入ったら、海外で“暮らす”という体験をしようと決めていた。動機は3つ。
優先度の高い順に・・・
1. 大学卒業後の進路を考える上で、“海外”を選択肢に入れるか入れないかを見極める
2. 大好きな建築を自分の目で見て回る
3. 英語とフランス語でのコミュニケーションを身につける
語学の習得が最優先ではなかったが、ともかくイギリスに次いでフランスに渡った。この決断がそしてこの時の経験が、今に至る人生に繋がっているというのは、振り返ってこそ分かることである。
ホストファミリーの家へ辿り着き、自分の部屋に通されて独りになると同時に、涙が込み上げてきて大泣きした。
全く自覚していなかったけれど、気が張っていたのだなあ。
緊張が途切れた途端、急に遠くまで来た実感が沸き、寂しさと寄る辺なさが押し寄せた。想定外の感情で驚いたが、あの時あの寂しさを経験できて本当に良かった、というのは余談である。
さて、転機の話に戻ると、イギリスで生活している間に決定的な変化が起こった。
それまでの『英語=知識・科目』という無意識が、『英語=実用的な道具』という意識に変わったことだった。
言葉にすると理屈の話をしているように聞こえるが、この意識の変化は本質的には実体験を重ねることでしか起こらないのだと思う。
イタリア人の友人とビーチで人生の話をした午後、まだ流暢とは言えない英語で沢山話し夢中で聞いた。
チェコ人の友人を訪ねたプラハの夜、彼女の家族と直接会話を楽しめたのもやはり英語を介してだった。
よく音楽の話をしたイギリス人の友人は、私の英語の正確さよりもその内容に興味を持った。
相手の言わんとしていることがわかる喜び、自分の言いたいことが伝わる手応え、英語をコミュニケーションの道具として使う実体験が、私の中での英語像を変え、その後の英語との付き合い方を決定付けたように思う。
☆英語コミュニケーション講座講師
ニックネーム:Michelle