みなさん、こんにちは。
※号外が続きましたが、今回は定期刊行版です。
最近、衝撃的な光景を見てしまいました。
その光景を貼ります。・・・心の準備は良いですか?
・・・準備OKですか?
『どん!』
この下の画像ですが、菱斐は、なぜかすごく惹かれて「買わなきゃ」と思い、買ったところのペン置きです。猫さんが、ペンを持ってくれます(ペンは横向き)。”他人じゃない気がした”のかもしれません。
菱斐のデスクではこうして神様のお写真(菱斐宅の写真は、上記の出雲大社にある銅像の様子ではなく本物の神様のお姿です)があり、その前に買ったペン置きが並びました。もちろん気付いてギョッとしました。
・・・!!
神様は、榊をお供えすると、
・・・
と、榊の上から下を、眺められます。
盛り塩をお供えしたときは、
・・・
『えー、詔子が作ったの?(詔子が盛塩を作れるなんて、神様ちょっとびっくりしちゃった!)』
みたいに眺めておいででした。
私のもとの神様は、どうやら長い間、指導霊として私を指導してくださってきたのだろうと、私自身がハッキリとその事の次第に気付いたのは、一昨年あたりのことでした。
きっかけは、・・・とある鑑定でした。そう、道志村事件です。難しい鑑定で、能力者の方が多数、協力報道しておられたことはご周知のことかと思います。私も鑑定していましたが、その中で、参考情報を得るために関連の報道を広く眺めていたのです。霊視・タロット・易その他。You Tubeを見たのもこの頃のことで、JJチャンネルさんほか配信者の方の動画も、そうして知ることになりました。
そうした報道の中から情報を得て、スピリチュアル理解が深まりました。指導霊とは何ぞや、それまで知らなかったのです。ああ、なぜそんな大事なことを知らずに過ぎてしまったのだろうと思ったことは、言うまでもありません。;;
私が易者で、巫女であっても、やはり神様から菱斐に伝わり辛いことはあると思います。相変わらず、どうしてか、大国主の神様よりも、神様のお友達の声の方が聞き取りやすいです。
「人間同士だって理解し合えないでしょ」
神様は、何気にそうおっしゃるので、『それでも気にすることでは無い』という意味になるのかもしれません。ぐうの音も出ない感じですが。とほほ・・・
ですが、島根に行って、お店に行ったら何を注文しましょうか、などは、答えの範囲を私がある程度想像できる(およそメニューの名前が返ってくる)こともあり、分かる気がします。
でも・・・。それでも。
神様、wifiをぶっ壊すとかいう方法よりも、もう少し別の方法で伝えてくださると良いのですが。ーー
ということもありました。神様は、通信系にお強いので、そうなるのかしら
ところで、昔、易を立てていた際に、
「そなたの1万年もの時代を経た魂は・・・」
という話があって、私って、それほど年寄りだったのかと思ったことがありました。道理で、疲れているはずだと思いました
・・・ドウリデ
1万年前って、想像を超えていそうですが、年表を書いている町がありました。
そして神様は、おっしゃいます。神様が長年、私を指導してくださったように、地方創生においても心して島根県を見てやってほしいと。
神様がおっしゃる、そのことは、確かに、私の身に覚えのあるような内容です。言ってみれば、お手本のように、指導霊として指導してくださった神様の姿が、私の内にあるのかもしれません。ただ、20年などの長い期間をかけて指導してくださった神様に比して、私はそこまで長い時間をかけることができるか、というような、人間界ならではの手狭さは、どうしてもあると思います。
神様からは、
「心配は捨ててしまえ」「希望を持て」
という風に言われますのでね。心配は可燃ごみの日に出して廃棄します。
ですが、最近、私が12~13歳頃に、人生を予言してくれた2名の不思議な預言者の内、1人が言った言葉を思い出しました。
「愛は地球を救う」
という言葉でした。12~13歳の子どもがそんな話を聞いても、話が繋がらない程度に訳が分からず飲み込めない感じになります。
でも、最近の状況を見ると、
『そういう意味?』
という程度に、なんとなく、思い当たる節がありますね。地球を救うほどでは無いにせよ、地域社会を救うくらいは、あるのでしょうか?
・・・
さて、遅くなりましたがいよいよ本題です。人々の記録した歴史というものが確からしければ、出雲の神様が人として地上で過ごされたというのは、弥生時代あたり?私の魂が1億歳なのだと、もし仮定すると、縄文時代とかそういうあたりを指しそうです。縄文時代や旧石器時代等と比べても、もう、弥生時代はせいぜい2千年前辺り。凄くモダンと言えそうです
『Modern Times Yayoi』
私を含めて、多くの人が凄く勘違いをしやすい問題ですが、弥生時代の人の絵を描いてと言われて想像すると、へんてこりんな絵を描いてしまうというのは、どうしてでしょう。こんなにモダンな時代なのに!、ですよ。
私の手元にある(家宝のため公表しない)神様の姿が写った写真には、出雲の神様が人として地上で過ごしておられた頃の本当のお姿が写っていますが、大変、ご立派です。もし、未来人と聞いても、そうなのかと思ってしまうかもしれず、原始=未発達=野蛮・粗野というような路線とは、全く違います。
ちなみに、弥生時代の頃の人々の装束として、ネックレスが描かれることがありますが、現代の人々が描く絵の多くは、たぶん、2980円くらいのネックレスなのかもしれず、出雲の神様が身に着けておられたネックレスは、300万円くらいのネックレスなんだろうな、という風に思えます。
ネットをぐぐってみてください。多分2980円くらいの弥生時代のネックレスが、いろいろ出てくるかもしれません。
イカニモ アリガチ
その2980円の方がポピュラーという意味で”代表的習俗”と言えるのかも分かりませんが。神様の本物のネックレスですが、私の技術が乏しく解像度が悪化して申し訳ないのですが、本物の神様の姿が写った写真から一部切取りして下に掲載します。
<大国主命の本当のネックレスはこちら>
黒い石がところどころ確認できるかと思います。本体の大部分は金色に近い印象に思います。全体を写すと質量感というか重厚感がもう少し分かりやすくなりそうなのですが、一部分ということで許可をいただいておりますので。ええ、本物のさちみたまくしみたま像となり、上部に添付した像と同じポーズをとられている人間時代の大国主様のお姿(本物バージョン)です。
でも、神様の記憶に鮮やかに残っているその様子から見て、写真に写っているネックレス、それはきっととてもお気に入りだった小物なのでしょう。今それを目にすると、夢とロマンのようにも思えてきます。