パパが女(アリッサ)になったとき LA発LGBTトランスジェンダー家族日記 -15ページ目

パパが女(アリッサ)になったとき LA発LGBTトランスジェンダー家族日記

「タイランドのトムクルーズ」とママ友からもてはやされたイケメンパパがある日突然「MTF(トランスジェンダー女性)である」とカミングアウト。苦労や苦悩もあったけど、私たち家族は大丈夫。LAから体験記を発信してきます。

Good morning from LA 🌈

 




サンフランシスコから昨夜10時に戻って来ました。「行きはよいよい、帰りはこわーい」。LAからSFまで、行きは車で5時間、帰りは8時間かかりました。







 

 サンフランシスコのLGBTコミュニティー"The Castro"

The Castro に関するリンクはこちら

 

 


サンフランシスコ市東端にある市内でもLGBT人口の集中した地域。日本語だったら、「LGBT街」と呼んだからわかりやすいでしょうか。LGBTのシンボル、レインボーの旗がはためき、お洒落なカフェやショップが通りを埋め尽くしてます。

 

 

ここではLGBT当事者であること、家族の誰かがLGBTであることが当たり前。カミングアウトしても誰も驚かない。だから、全米から、ここに移住してくる人が後をたたないそうです。「人と違うことが当たり前」、すてきですね。

 

 


いつも前置きが長くてすみません。トランスジェンダー家族のことに加え、カリフォルニア情報も少しづつ発信できたらと思っています。

 



さて、前回の続き。MTFのパートナー、アリッサがカミングアウトするまでの、わたしが気付いた「彼」から「彼女」への変化。

 

 

幸せ太りというのでしょうか。結婚後、どんどん体重が増え、夫は一時期、「私よりおっぱいが大きいのでは?」と思われるくらい太っていたこともあったのですが、減量と運動に励み、体重を1年かけて15キロ落としていました。

 

 


ヨガにも真剣に取り組んでいた夫の体は美しく、ママ友からは「会うたびにきれいになってくね。愛さんより、女らしくなったんじゃない」とからかわれることも度々ありました。

 

 

当時娘たちが通っていた日本語補習校のお迎えの際、ホットパンツをはいて、つばの大きめの麦わら帽を被り、娘たちと手を繋いで歩く夫の後ろ姿を見かけた友人が「愛さん、痩せたんじゃない?」とわたしと夫を間違えて声をかけるという笑い話もありました。

 

 

 

その後、私を不安のどん底に陥れる出来事が2件ありました。

 

 


どん底事件、一件目は、娘のお気に入りのぬいぐるみが見当たらず、 彼の部屋にはいったときのこと。

 

 

彼はいわゆる「片付けられない人」で、彼の部屋は常に散らかり放題、足の踏み場もないほど物で溢れているのですが、部屋の片隅の大きな段ボール箱のなかに、大量の女性用のドレスや下着、シリコンブラ、大きなサイズのハイヒールを見つけたのです。

 

 

「浮気してるな」と直感し、彼を問い詰めたところ、「卸売りで安く服を購入し、ネットビジネスをしたかった」と言われました。

 

 

 

2件目はカミングアウトの数週間前、家族で水族館に出掛けたときのこと。2人並んで歩いているとき、腕を組もうとしたら、さりげなく拒まれました。「あ、やっぱり浮気だ」と思った瞬間、彼がTシャツの下にスポーツブラを付けているのを発見したのです。

 



わけがわからなくなり、「どうしてブラしてるの?」と聞いても、きちんと返事をしない彼。不審に思ったものの、返ってくる答えが怖くて深く追求することができませんでした。

 

 

不審な点があちこちに点在していたのに、点と点を繋ぎ合わせた先に見えるものが怖くて、きちんと夫にと向き合うことを避けていました。

 

 

彼からかえってくる答えを聞くのが本当に怖かったのです。




次女を出産した頃から、わたしたち夫婦の関係は、 すれ違いが多く、ぎくしゃくするようになっていきました。本当に大切なことを向き合って話すことが少なくなり、肝心なことは携帯のテキストでやりとりすることが増えました。夫は気が強くて怒りっぽい妻の私が怖かったのかもしれません。今振り返ると私たちは仮面夫婦だったのかな。



地元。わたしたち家族の好きな場所。寒い日でも日傘を絶対忘れないアリッサ。そばかすだらけのわたしも見習わねば。

 

 


Hello from San Francisco 🌈



今日はサンフランシスコ家族旅行最終日。
家族でお泊まりは夏のラスベガス以来。



今まであまり考えたことなかったけど、旅行の醍醐味のひとつは日常から逃避できることですね。





わたしたちのこと誰も知らない。パートナーのアリッサと娘たちと4人で手を繋いで歩いても誰も気にしない。




肩の荷がおりて、軽くて自由で。家族4人ではしゃいで笑って。非日常を存分に楽しみました。







今日のアリッサ。こうして写真で見るとバンコクに住んでる義理の母にそっくり。






昨日のランチ。サンフランシスコのヒッピータウンにあるvegan burger のお店。アルミの器が可愛すぎて、店員さんに尋ねたら、「本店はシンガポール、オーナーはシンガポール人」だそう。

店内も味もピカイチ。今後全米展開していくそうです。




前置きが長くなりましたが、前回の続き。



今回はMTFのパートナー、アリッサがカミングアウトするまでの、「彼」が「彼女」になっていった変化について書きます。



(今、わたしのなかでアリッサはすっかり女性であり、3人称では「彼女」なのです、カミングアウト以前と直後を語るときは「彼」とか「夫」という言葉をつかいますね)







娘たちから父親がトランスジェンダーだと聞かされ、携帯で仕事中の夫に事実を確認した日の夜。



娘たちの就寝後、夫と話し合いました。自分の本来の姿に気付いたのは6年前に始めたヨガがきっかけだったそう。



ヨガを通し、自分と向き合うことで次第に自分が間違った身体で生まれ育ったことに気づいたそうです。



思い返すと不審なことばかり。




最初の異変に気づいたのは、夫がペディキュアを塗りだしたとき。ある朝、次女がわたしにこっそり耳打ちしたのです。





「ダディが足の爪ペイントしてるよ」





バスルームのドアを開けると、トイレの便器に座り、ペディキュアを塗ってる夫がいました。




びっくり仰天して理由を聞く。



「今どきのスポーツ選手やセレブはみんなしてるよ、爪のキューティクルを守るためだよ」と夫。




足の指にはご丁寧にシルバーのトーリングまでしてました。




瞬間、当時MTFとカミングアウトして世間を騒がせていた、ブルース・ジェンナーの姿が脳裏をかすめて、じわじわとした不安を感じたのを覚えています。


ブルース・ジェンナー(ケイトリン・ジェンナー)



ネイル事件の頃から服装も徐々に中性化していきました。ホットパンツ姿にロングブーツを履いたり、髪の毛伸ばしたり。ヨガの服装もカラフルで女性っぽい格好が多くなりました。




ただ服装に関しては当時夫がはまっていた「日本人バンドの影響かな?」とあまり深く考えないようにしてました。



当時巷では「メトロポリタン男子」という言葉がもてはやされ、ファッションや身だしなみにこだわりを持つ男性がテレビや雑誌で頻繁に取り上げられてました。



「ここは自由の国、アメリカ。ファッションに関しては夫が好きなようにすればよい」とあまり深く考えないようにしてました。




ただ、外食したときに小さな女の子がホットパンツにロングブーツ姿の夫を指差して「あの人ヘンだよね」と呟いたときは、ショックでした。



「どうか娘たちに聞こえていませんように」と胸のなかで祈ったこと、今でもよく覚えてます。




次回もカミングアウトまでの夫の変化を書きます。




自慢の娘たち @ Golden Gate Park。思いやりがあって優しくて、冷静に物事を捉えることができるのはアリッサ似。わたしは逆で怒りん坊のあわてんぼう。









Good morning from San Francisco 🌈


クリスマス休暇で家族でサンフランシスコに来てます。








パートナーのアリッサはビーガンなので、昨夜はビーガンのお店で美味しい飲茶。


サンフランシスコはLGBTが住みやすい街と言われています。レストランの店内にも、街を散策してても、ゲイカップルが溢れてて、微笑ましい。


わたし:「サンフランシスコに住みたい」?
アリッサ: 「今住んでる場所が心地よいから興味ない」


そっか、心地よいんだ。何気ないアリッサの言葉にホッとする。



さて、前回の続きでパートナーでMTFのアリッサがカミングアウト日のことを書きます。



娘に「ダディはトランスジェンダーだもんね」と言われた私。



「誰がそんなこと言ったの?」あせって問い詰めると娘は父親から直接聞かされたと答えました。


「何かの間違いに違いない」「娘の勘違いに決まってる」という強い願い。



それとは裏腹に心の奥底で「やっぱりそうだったのか」と諦めのような腑に落ちる気持ちがあったのも事実です。



すぐに仕事中の夫の携帯に電話して問いただすと「ごめんね、ずっと伝えたかったけど言えなくて」と夫。


青天の霹靂。衝撃のノックダウン。


まず頭に浮かんだのは「離婚」という言葉。
「結婚生活がこれで終わるんだ」という悲しみ。
わたしにではなく当時7歳と9歳だった娘たちに先に事実を伝えた夫への怒りと困惑。



正直に言うと、何よりも強かった感情は周囲の反応に対する羞恥心と恐怖心でした。


「ママ友に知られたら恥ずかしい」 
「子供たちがいじめられたらどうしよう」


押し寄せる不安と恐怖で目眩がしました。




「今までずっと言えなくて辛かったね」といった夫への労りの気持ちを感じる余裕はまったくありませんでした。



7年前の写真。大好きな写真。男前で優しくて強い彼が自慢で、FBに「うちの父ちゃん本当に男前」ってキャプション付けて掲載した。みなから「いい加減にせい」ってヒンシュクかったっけ。もう大丈夫なはずなのに、この写真みると涙がとまらん。





次回からはパートナーがカミングアウトするまでの経過を書きます。


LAからメリークリスマス。


我が家は今日から2泊3日でサンフランシスコ旅行です。カリフォルニアでLGBTが住みやすい3大LGBT friendly citiesと言われるサンフランシスコ(他2都市はウェストハリウッドとロングビーチ)。


今回のミニ旅行は娘たち以上にパートナーのアリッサが楽しみにしてます。2泊なのに巨大スーツケース。アリッサのおしゃれグッズが詰まってます。



パートナーのアリッサがカミングアウトした日のことを2年前に遡ぼって書きたいと思います。(長いので数回にわけて)


2016年の5月のある日、私と娘たち(当時7歳と9歳)は父の日のプレゼントを包装してました。
裁縫教室で娘たちが父親のためにTシャツを作ったのです。

長女のTara:「丈が長過ぎてチュニックみたいになっちゃったね」。

わたし:「だいじょうぶ、ダディはかわいい系が好きだから」。


オハイオ州生まれ、タイ🇹🇭系アメリカ人の夫は、昔から女性っぽいかわいい人でした。性格は優しくおっとり。顔立ちも美しい。歩き方やふとした仕草がしなやかで、持ち物もかわいい系が大好きでした。


すると娘からこんな反応が返ってきました。


「そうだよね、ダディはトランスジェンダーだもんね」。




これがわたしたち、LGBTトランスジェンダー家族の物語りのはじまりです。


事実を知らされたのは夫からではなく娘たちから。ダブルショックでした。


続きは次回に書きます。




南カリフォルニア在住の愛です。ブログを書くのは初めてで、ドキドキしてます。LGBT、特にトランスジェンダーについて伝えたいメッセージがあるので、勇気をだして書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

2016年の5月にタイ系アメリカ人の夫がMTF (トランスジェンダーの女性)だとカミングアウトしました。ビフォアーとアフター(2年後)のわたしの夫(今はパートナーです)の写真です。

 

 

周囲はみなわたしたち家族に同情しました。

 

 

「奥さんがかわいそう。子供がかわいそう」。そしてみなが聞きます。「もう離婚したの?」「いつ離婚するの?」。

 

 

日本から来たばかりの駐在ママに「アメリカでよかったね。日本だったら生きてけないよ。子供が絶対いじめられるし」と言われました。パートナーがカミングアウトしたとき、最終的に離婚する夫婦は 多いし、カミングアウトした本人が 孤独や鬱などで自殺するケースも少なくないといいます 。

 

 

わたしたち家族にも確かにつらい時期がありました。カミングアウト直後の2年前に書き留めていた日記には、怒り、悲しみ、安、戸惑いがいっぱいで、あの頃の感情や出来事をブログとしてまとめていたら、このブログは悲しみに溢れた悲劇の物語になっていたはず。

 

でも、今はだいじょうぶ。パートナーのアリッサは美しく自信を持ち、娘たちと私は強く優しくなりました。周囲の目を気にし、ママ友の反応に怯え、自分で自分を苦しめていたことに気付きました。起きてしまった事実をどう受け止めるかは自分次第ということに気付きました。 

 

 

「一家団結」とか「ほのぼの家庭」とかそんな理想の家族にはほど遠いけど、お互いの存在を大切にして、周囲の目を気にせず、堂々と生きていける自信が今はあります。いろんな気持ちの変化があって、夫がトランスジェンダーであることは私にとってもプラスなことなのかもと思えるようになりました。

 

 

書くことで女は救われる。昔、女性雑誌でこんなタイトルを目にしたことがあります。音楽もアートも苦手だし、自分の気持ちをさらけだせる友達もいなかったので、書くことで自分の気持ちを整理したかった。どんなに衝撃的な出来事でも、書いて記録に残さないと、日々の生活に追われ、10年後には自分たちに起きた大切な出来事をすっかり忘れてしまうので。

 

 

自分の書いた文章が世の中の人の 価値観とか意識をかえることができるとは思っていません。世間のトランスジェンダーへの偏見をなくすとかそんな厳かな目的ではなく、わたしたち家族の体験をもとに「家族がだれかがトランスジェンダーでも、なんとかやっていけるよ」とか、「こんな家族がいてもいいんじゃない?」という提案をするためにブログを書けたらと思っています。