何だか、今まで以上に変な話だったなーと思った。
天に行く人たちがみんな天に行ったら記念式はしなくてよくなるらしい。
まぁ、天に行く人たちってのも毎年毎年増えたリ減ったりしてるし現実問題彼らがいうハルマゲドンが来るまでは行われるんでしょうけど・・
実際に話で言葉としてそれを聞いた時の違和感。私が感じただけかもしれないけどちょっと全体的に変な空気になったような気がする。え?って思った人いるんじゃないかな?
私の記憶だとこんなの初めて聞いた気がする。
イエスが最後に行った晩餐は天に行く使徒たちとだけでぶどう酒とパンを食した。じゃあもともと部外者の私たちはする必要ないやん。
この儀式を行う事によってエホバとイエスに感謝することが重要なら、脂な人たちが天に行く行かない関係なく毎年するべきなんじゃないのか?何で天に行く脂な人たちを見守るためにこんな事せなあかんの?
記念式の意味ってそんなんだったのか・・。これはわたしの勉強不足でした。
イエスは何を思って犠牲になってくださったんだろう。アダムの罪と引き換えに苦しい死を遂げる。イエスが処刑される前の聖句を読むと本当に泣けてきます。逃げだしたい、怖い、という気持ちから必死にエホバに祈り自分を強め、ごちゃごちゃゆってくる弟子たちの為にまで祈り・・。
そうまでして示された愛や、処刑された時に地をも揺るがしたエホバの悲しみ。
そういうことをもっと思う日ではないのかな・・。と思いました。
トウチタイの人たちは食べたんですかね。パンとぶどう酒・・( ̄ー ̄;