【建築の公共性2】
続きなのです・・
では、
なんでそういうことになってしまったのか?
ちょっと考えてみました。
言っときますが、
これは勝手に私が妄想したことで、
ほんとのところはまったくわかりませんので、
よく知りもしないで適当なことを妄想しているだけですので、
そのつもりでどうぞ。
たぶん、
交差点の塀の位置をセットバックしたり、
高さを下げたり、
違う物にしたりしたところで、
かかるお金などはほとんど変わらないでしょう。
まあ、
家のデザイン性とか敷地の利便性などは多少あるのかもしれませんが。
なのに、
そうなっていない。
なぜか?
きっと、
その家々の設計者達はそんなことになるとは、
考えてもいなかったのだろうと思われます。
でも、
私が私なら絶対にそんな設計にはしないと思うくらいで、
実際に1軒の家はそうして建てています。
なんで?
まあ察するに、
きっと設計者達は設計前にこの敷地をみていないのです。
この道路がどういう状況でどんな交差点なのか?
見たことないのでしょう。
敷地を見もせずに設計する?
そんなことあるの?
あります。
いっくらでもある。
だって、
建売住宅の設計料なんてほんとに安いのです。
俗に設計屋なんて呼ばれる人達は月に何軒も何軒も設計しないと、
月に1軒や2軒設計したくらいでは食べていけません。
なので、
プランニングなんてしません。
営業さんに言われたとおりに設計します。
いちいち考えてる、
そんなお金は貰っていません。
そもそも、
敷地見に行く時間なんてありません。
すぐ近くならよいのですが、
ちょっと遠ければ見に行くだけで1日終わってしまいます。
そもそも見に行くのにだってお金がかかりますから。
だから、
依頼主から見せられた写真だけ見て、
言われたとおりに設計して、
確認申請だけ通してくるのです。
でも、
だからといって依頼した建売業者さんにしてみたって、
そんなに設計料払ってたら、
とてもじゃないけど安く住宅を提供することなんて出来なくなってしまいます。
そんなことしていたら普通に注文住宅建ててるのと変わらなくなってしまう。
するとお客さんは安価に家を手に入れることが出来なくなる。
ま、
ちょっと極論ですが。
そういうことになってしまいます。
難しいですね、
誰が悪いのでもないのです。
ま、
妄想ですがね、
妄想です。
本当はどうなのかは知りません。
でも、
実際に魔の交差点は出来てしまうのですから、
仕方ないではすみません。
事故に遭われた方からすれば冗談ではすまされない。
下手したら命に関わるのです。
なんとかするシステム作りが必要なように思いますね。
救いなのは3軒のなかの1軒は塀をセットバックして建てている、
ということ。
この設計者はわかってやっているのです。
ここに塀をつくると見えなくなってあぶないと。
なぜわかったのかはわかりませんが、
見に来たのかもわかりませんし。
ま、
単なる偶然なのかもしれませんがね。
建築の公共性というのは、
街並みとか景観とかだけでなく、
そういうことも含まれるのだと思います。
そこにあるだけで建築は社会の一部なのです。
Atelier繁建築設計事務所HP
よもやま建築日記~家づくりの現場から~