海辺の村に、おじいが住んでいました。
畑仕事もせず、絵ばかり描いているので、村人たちの顰蹙を買っています。
しかし、あるときおじいが描いた、凧の絵を見て、村人たちの評価が変わりました。
「ごうきな えじゃ」
「わしらも げんきが でてくるようじゃ」
お米や野菜をかついだ村人たちが、絵を描いてくれとやってくるようになったのです。
評判を聞きつけたお殿様も、おじいの描いた凧が欲しくなり、武士をひとり使いに出しましたが、
「わかとのの えなら まちの りっぱな えしに たのみなされ」
とけんもほろろに断られため、武士はカンカン。
しかしおじいは気にも止めず、村娘の婚礼のために、心をこめて絵を描くのでした。
その婚礼の真っ最中に、大地震が来ました。
そして恐ろしい津波が、村を丸呑みしたのです。
東日本大震災の経験がある子どもたち、神妙な顔で聞いています。
田島征彦さんの、迫力に満ちた津波の絵が、あのときニュースで見た映像をまざまざと甦らせるのでしょう。
村の稲は全滅しました。
潮をかぶった畑は、しばらく蕎麦さえ育ちません。
そんなとき、城の石垣が壊れ、復興作業の人手を集めるため、あの武士が再びやってきました。
そしておじいにもう一度、凧の絵を描かぬか、ここにいるより良い暮らしができると、甘い餌で気を引いたのですが、おじいは尚も「おまえらに用はない」と、武士を追い払ってしまいます。
おじいは、若殿のために絵を描く暇があったら、子どもたちのために、凧の絵を描きたいのです。
紙がないなら、ふんどしに描けばいい。
外に干してあったふんどしに、なまずの絵を描きました。
するとそのなまずは、天にのぼり、雨を呼びました。
雨は何日も何日も振り続け、山の土を田んぼや畑に運びます。
潮をかぶった土は、すっかり生き返ったのです。
津波で畑を失った人たちより、城の石垣の工事を先に考え、若殿のために凧の絵を描け、という武士のようなお役人は、今はいないと思いますが!
おじいの反骨精神と天にも通じる画才が、村を救った、快挙譚。