NHK『あさイチ』の内容と、TBSの日曜劇場(ドラマ)『さよならマエストロ...』の中であるチェリストが子どもの頃を振り返って話すシーンの内容が重なる・・・と思った今朝。

 

 

 

「人には言えないハナシ 教育やりすぎ!?」

 

 

 

 

「さよならマエストロ〜父と娘のアッパシオナート〜」

 

 

 

 

 

あれ?昨夜次女が話してくれたことも同じような内容だったなあと・・・。

 

 

昨夜は次女の話を聞いてるうち、私は”子育て”において「譲れないところ」がいくつかあったんだなあと思い返してました。

 

 

それは「**をする」よりも、「これはしない」ということが多かったように思います。

 

 

その中の一つが、昨夜の話題になった「テストで◯点以上とったら好きなものを買ってあげる」と言う約束。

 

 

「ご褒美があれば頑張れるのに!」と、長女か次女か忘れましたが何度か言われたことがあるけれど、しなかった。ケチ!と思われてたかもしれないけど、しなかった(笑)

 

 

なぜしなかったのか?明確に説明できる理由はあるけれど、それよりも「なんとなく気が進まなかった」という理由の方が最初かな。

 

 

それとは別に経済的理由で娘たちには欲しいものを買ってあげられなかったこと、したいことをさせてあげられなかったことはあって、あと、気持ちをわかってやれなかったことなど後悔することはたくさんあります。

 

 

この「後悔」について、あさイチに出演されてた小児科医・高橋孝雄さん

 

 

後悔することは深い愛情

 

 

というふうにおっしゃってて。

(うろ覚えですが...)

 

 

これは初めての解釈だったので目から鱗でした凝視

 

 

そっか、過ぎた時間を悔やむことも愛情の一つ・・・だとすると、後悔の念が出てきた時には【辛い】というラベルを貼られた過去にとらわれ続けるのではなく、【愛情を持っている私】を感じたらいいんだ、と。

 

 

そうしてみると、同じ後悔するのでも心の中の景色も温度も全然違いました。

 

全く逆の感覚になる、負のループにはならない。

 

 

最後に高橋さんは

 

 

・子どもを通して自分の幸せを実現しようとしない

・親である自分が先に幸せになる

 

 

ということをおっしゃってました。

(おっしゃった言葉そのままではなく、私の記憶で書いてます)

 

1/24追記:あさイチInstagramに内容が掲載されてました

こちら→ 今日の特集は「教育やりすぎ!?」

 

 

 

 

 

「あなたのために」は、子どものことを思ってるようで「私みたいにならないように」という、実は自分の人生を認められない不安な気持ちが変換されてるんですよね。

 

 

これってなかなか気付けないところなんですけど。

(気づいても認めにくいところかな)

 

 

3年ほど前のブログ記事を思い出してそんなことを考えてました。

 

 

 

2020年12月8日

『娘たちに求めるのではなくて、はじめるのはここからだった。』

 

 

 

 

 

久しぶりに読み返しました。

(最後はこんなふうにまとめていたのか・・・)

 

 

また初心に戻って、私は私に安心しよう。

 

 

今、私が手にしてるもの、与えられてるもの、目の前にあるもの、離れていても見えなくても繋がっているもの全てを感じよう。

 

 

そしたら、なんてありがたいんだろうという気持ちで満たされていくから。

 

 

そしたら、安心できるから。

 

 

人や環境が良い方に変わって欲しいと望むなら、まずは自分を満たすことが実は近道なんですよね。

 

 

私が変われば必ず周りも変わる。

これって、よくよく思い返したらきっと誰もが小さな小さな出来事でも経験してるはず。

 

 

 

 

 

2022年の11月はこんなこと書いてました。

ぐるぐるしながらいつまでも成長を試みてるアラフィフです泣き笑い

 

 

『映画『そして、バトンは渡された』をみて。』

 

 

 

 

 

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