テーブルの下に新聞紙敷いた上で自由にご飯を撒き散らかしながら食べる次女
 
 
 
途中でうとうと眠ってしまい、コックリコックリする姿を写真に収めたり
 
 
 

ソファで一緒に昼寝しておねしょされたり

 
 
 
長女と手を繋いで二人で幼稚園に歩いて行ってたところにベビーカーが加わるなんて思ってもみなかった
 
 
 
ガラガラうるさい補助輪つき自転車こぐのを早足で付き添いながら「こんなことも、これが最後」と二人目育児を楽しめてた私
 
 
 
週末は家族で芝生の上でお弁当広げて
ボールで遊んで過ごす
 
 
 
平日は次女の昼寝の間、長女の幼稚園のお迎えまでに晩ご飯の段取りをがんばる
(魔の夕方のグズリ時間を避けるため)
 
 
 
チャイルドシートで眠ってしまった次女とお米を抱えてマンションの階段上がって後悔したり
 
 
 
車を手放してからは天気予報に敏感になりながら自転車生活をしてたこと
 
 
 
自転車の後ろの席で次女に眠られて片手で押さえながら必死で走らせたこと
 
 
 
趣味で作った手縫いのフェルトの鉛筆キャップを長女が気に入って小学校で使ってくれて嬉しかったこと
 
 
 
二人を連れてミスドに行ったら長女の歯が抜けて口の中が血で赤くなってるのを「どうもなってないよ」と、長女が事実を知ってパニくる前に&次女がご機嫌のうちに食べ終えるために平気に振る舞ったこと
 
(けっこうなてんやわんや状態でもうミスドには来ないと誓いたくなったこと・苦笑)
 
 
 
休みの日は夫がご飯を作ってくれたこと
市民プールにもよく娘たちを連れてってくれてた
 
 
 
嬉しくなる美容室を見つけて通えたこと
器を愉しむ暮らしを見つけたこと
 
 
 
レンタカーで熊本にはじめて家族旅行に行ったこと、ほんとにそれがとてつもなく嬉しくて幸せだったこと
(いつも帰省で終わってたから)
 
 
 
はじめてこの家族だけでお正月を迎えたこと
 
 
 
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時系列ははちゃめちゃだけど
そんな時間が私たちを家族という形に安定させてくれ、成長させてくれました。
 
 
 
その時間を過ごしたのは、福岡です。
四人家族になった土地。
 
 
 
記憶は、思い出は、都合よく書き換えられてる、と思う。
 
 
 
よき思い出ばかりじゃないはずなのに、浸りたい思い出しか出てこない。
 
 
 
拠り所であり、支えられてるあの時間。
 
 
 
何度も帰りたいと思った、じゃなくて、願った、祈るように願った9年前。
あの頃は支えられてるんじゃなくて、必死で手放すまいとすでに離れた土地や時間に執着してたと思う。果てしなく辛かった頃。
 
 
 
今はアルバムを見返すような感覚で、懐かしくじんわりと思い出せます。恋しいのはかわらないけど。
 
 
 
と、少し話がそれたけど
 
 
 
娘たちが幼い頃、早くひとりの自由な時間が欲しかった。
 
 
 
早く娘が一人で歩いてくれないかな、早く一人でトイレに行くようにならないかな、早く一人で、ってことばかり考えてたけど
 
 
 
そんな「早く」は、ものすごいあっという間に過ぎていく。
 
 
 
当時はそんなのもちろんわかんないのだけど。
 
 
 
だから、今を楽しんで!なんて若いお母さんに言いたいわけじゃない、わかんないのが自然だもん、実際自分のアレコレとたくさんのことを交換して譲ってとてもハードな頃だもん。
 
 
 
でも、愛おしい思い出を見つめる時は来るかもよ、と、静かに思ってます。
もちろんわざわざ面と向かって言わないけど・・・
 
 
 
どんなことも、私の軌跡。
愛おしくて、大切です。
この「今」も、私が生きた証としていつか思い返すことになるんでしょうね、あなたの「今」も。