日本に続き、ニューヨークも年が明け、2013年になりました。
新年を迎えるにあたり、今年の目標を考えるためにいろんな事を思い返していました。

★2012年 大航海時代
去年の年越しは旅の途中のタイでしました。旅での人との出会いは本当に刺激的だったので、今ではその前がどうだったのか思い出せないくらい、世界がずっと身近に感じられるようになりました。

★2013年 学び直しの年
これまで走りながら学んできた事たちにも、周りの方々の支援や優しさのお陰で少しずつ自信が付き、自分の力を過信する事もありました。でもその未熟さによる穴がポコポコ目立ち始めついに改めて学び直すべき時を確信しました。今年は再び学生に戻り、ニューヨークの美大で思いきり描いて学ぼうと思います。

■小さな目標たち
☆断れる人になる
中途半端な気持ちでYesと言ってしまって実行していても、100%の気持ちでないと結局相手にも失礼だという事を実感する事が多くありました。なので今年は、生返事をしない、はっきり取捨選択できる強い人になろうと思ってます。

☆夢中になる
歳を重ねるに連れて、何かに熱中できる無邪気な心を忘れていっている事に気付きます。座るのも食べるのも忘れてどんとん描いたり切ったりしていた子どもの頃の好奇心を取り戻し、勉強でも芸術でも、好きな事に素直に熱中できる年にしたい。ニューヨークで出会った、絵を描いている人にその大切さを学びました。

目標を考えるにあたり、自分の人生を何に向かわせたいのか、改めて振り返りましたが、やっぱりテーマは、歴史、植民地、戦争、移民、社会。
移民の国ニューヨークでの生活の中で、沢山のインスピレーションを溜めながら、the artという表現手段どんどん蓄えて行こうと思います。

2012年が、22歳以降の社会人生活を見つめ直す踊り場の年であったとして
2013年は、それを踏まえて改めて学び直す再出発の年。
今年も、自分と大好きな人たちに、沢山の幸せと意義のある苦労が舞い込んで来ますように…☆
Happy New Year!! ゚+.(◕ฺ ∀◕ฺ )゚+.
photo:01



今日はメキシコ学生のストライキのドキュメンタリーの上映会にきました。
一時間ぐらいかけて迷いながら来てみたら、すごくいい感じのシアター。
photo:02



来る途中のFラインは地下鉄なのにモノレールみたいに空を走ってて、
ブルックリンのオレンジの街灯が綺麗だった。
photo:03



もうすぐ12月。
去年の12月5日、ハノイに飛んだ。
知らない事だらけの世界の事を、一つずつ自分の事として受け止めたくて、世界のいろんな場所を旅した。
photo:02



あれは本当に、先月の事みたい。
もちろん沢山のものを見て、知らなかった人たちと出会って、だいぶ変わったけども。もう一年だなんて。

そして今ニューヨークで居住者になり、なんとなく安定してしまっていて、これから私はどうなってしまうんだろう。

一年てほんとに早い。
photo:01


ニューヨークでは、これまで忙しさを理由に置き去りにしてきた事が体当たりで投げつけられるから、学ばなければ、と思う事が多い。
だから1.7倍ぐらい割高のキノクニヤ書店に駆け込んでは、本を買う事が多くなった。
今はポストコロニアリズムの本を読み始めている。

photo:02



コロンブスか新大陸を発見した1492年だなんて、そんな前の話…と思っていたが、いや、500年しか経っていないのだ。ニーニョのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんぐらいは居たかも知れない。

あまりにもラテンなスパニッシュになっているニーニョを見ていると、全く虐殺なんて想像できない。

photo:03



ニーニョは今のメキシコの先住民がスペイン植民者たちにどんな風に扱われてもとの言語を忘れて行ったのか知っているのだろうか、と思い聞いてみた。
ニーニョは、何バカな事を聞いているの、you're crazy niña. と返してきて、私は気が抜けてしまった。
そんな大昔の事を考えたってお金が儲かるわけでもないし、だいいち今の生活に関係ないじゃないか。。
ニーニョの言葉は確かにそうかも知れないけど、ニーニョが祖国を出ざるを得なかったほど危険で治安の悪くなってしまっているメキシコを作ってきたものが何なのか、それを考える時に、植民地の歴史無しでは語れないんじゃないか、と私は思うのだ。

私はたぶん、どこかで「植民地はいけません。」という固定観念を持ってしまっている。
全くの他人が人の土地に上がり込んでそこの人々を支配し殺してそこに居座る。支配側の文化や認識によって全てを理解し支配を実現していく植民地主義の事を、人として許せないのだと思う。

だけどその固定観念も、自分の事を人類の一部と認めるならば認めなければならないのではないか、とも最近思っている。
人類は、常に奪いながら生きてきた。知らない奴らが不幸になってもいいから、まずは自分が生き延びるために何かをしなければ、と行動するのは、何気に当たり前の事なんじゃないか。
食糧が尽き自分のギリギリの安全を喜んだハリケーンサンディーの時にその本能的な自分の人間らしさを皮肉にも実感した。私は嫌になるほど、自分だけまずは生き抜く人間らしい本能を持っていたのだ。
photo:04


photo:05



だとしても、過去の酷い行為を、本能だと肯定して現在の貧困との関係性に目を向けないままでいいのか。
サンディーが去ったあと、自分の食糧と寝床を得た人々は、どんどん友人を泊めてあげたり食糧を分けたりしていたではないか。
人類だって、十分な富を手に入れたあとは、分け合えばいいんじゃないだろうか。
植民地という本能的すぎた考え方を世界中が反省し、その後富を手にした多くの支配側だった国たちが、植民地の傷を引きずったまま貧困に喘いでいる国たちを助ける必要があるんじゃないか。本当にためになる助けがあれば、すぐに世界の貧富の差はどんどん縮まるんじゃないか。
すっごく贅沢じゃなくたっていいから、死にそうに飢えないぐらいにしてあげられないだろうか。

そんな事は、やっぱり幼稚な考え方なのかなぁ…。
もう少し、読み続けないと答えが見えそうにありません。

photo:06

二週間前に引っ越してきたブルックリンの部屋は快適だ。
週末は電車でほんの数駅のウィリアムズバーグとブッシュウィック探検で忙しい。
下北や高円寺をもっと未開拓の手作りにした感じのブッシュウィックは最近のお気に入り。
昔倉庫だったこの街を、若いアーティストたちかどんどん開拓して手作りのアトリエやスタジオを作って行っている。
私はこの街にいると好奇心が止まらなくて本当に居心地がいい。もしかしてもう少し知るだけでもうこの街を取り返しかつかないほど愛してしまうんじゃないかという予感がしている。
photo:01


photo:11



気が付けばニューヨークに来てからもう1ヶ月半が経過している。
それなりに毎日忙しく、それでもこのニューヨーク滞在をどう有意義なものにしようかと常に考えている。

最初は辛い事ばかりで驚くほど上手く行かないことだらけだったけど、今ではやっと慣れたと言える程色んな勝手が分かってきた。

ブルックリンの部屋の窓から見える風景は、裸になった冬らしい木々と、隣の家の灯りに照らされた雑草畑。
すごく遠くに見えるオレンジ色の街灯たちの色はミャンマーの汚いホテルからみた街の灯りと同じすぎて、自分が今どこに居るのか、一瞬わからなくなったりする。

photo:09



ブルックリンの店の看板は半分以上がスペイン語だし、ここはどこの途上国だっけ、と思うような汚くて小さい、貧乏そうな店が当たり前のように立ち並ぶ。
すれ違う人たちは9割以上が私よりも濃い色の肌を持っている。
あちこちで聞こえてくるのはスペイン語で、英語が聞こえてくるとむしろビックリするぐらいだ。

photo:02


photo:03



ワシントンハイツに行った時も同じだった。
そこで見た生ジュース屋さんは、中国て見たかタイで見たか、いつか旅の中で当たり前にして見ていた風景と同じものがそこにあった。
寒かったけど、つぶつぶ入りのオレンジジュースは安くてめちゃくちゃ美味しい。
photo:04


photo:05



あちこちにある移動販売の車は、雰囲気も匂いも、東南アジアで見た風景とかなり重なる。
中で売ってるのは、聞くたびにバングラデシュから来た移民のおじさんたち。物を売っているくせにナンパをしてくるところも、タイでの風景と重ねられずにはいられない。そしてこの車で売っているチキンライスやサンドイッチは安くて絶品だったりする。
photo:06


photo:07



多くの人が言う。
「ニューヨークはアメリカじゃない」
本当にそうだなと感じずにはいられない。
世界のどこでもあり、実はそのどれでもない場所。
人々がそれぞれの希望を胸に、世界中から集まっては、それぞれの居心地のいい居場所を作ることを当然に許してきた場所。

私もまた、居心地のいい場所をどんどん見つけ、ここの住人となり始めている。
世界中の人が集まるニューヨークの魅力とはそう言う事なのか、と思わずにはいられない。
photo:12


サウジアラビアからきたクラスメイトのトルキーは、大人しくていつも和やかだけど、センシティブな話になるととても強い口調になる。
「サウジアラビアって、エジプトの隣だっけ?」と聞くと、トルキーは中東の場所を一個ずつ教えてくれた。
「あれ、イスラエルはここでー、」っと指で地図を描きながら私が言うと、彼は急に強い口調になって、「イスラエルとは違う!」と言った。
「イスラエル人は俺たちアラブ人をすごくいっぱい殺してるんだ。だから俺はイスラエル人が嫌いだ。一緒にすんじゃねぇ」ぐらいの口調だった。
でもこの学校にはイスラエ人はたくさんいる。
「イスラエル人のクラスメイトと友だちになれる?」と聞くと、
「ならない。」と言っていた。
そして「もうイスラエル人の話をしないでくれ」と、疲れたようにムスッとした。

トルキーは13人兄弟。さらにトルキーのパパは27人兄弟らしい。おばあちゃんが2人居るそうだ。
私の使っている箸を取り上げて不器用に練習しながら、トルキーもそれぐらい沢山子どもが欲しいと話していた。

photo:01

友だち作りぐらいのノリで最初の一ヶ月だけ予約した語学学校では、意外に面白いクラスメイトたちとの出会いが待っていた。
ロシア、タジキスタン、モロッコ、ブラジル、コロンビア、バングラデシュ、イスラエル、サウジアラビア…少し話すだけで、母語も宗教も歴史も様々で面白い。

その中の一人のメキシコ人の小さな男の子は、クラスのあといつも私にとことこ着いてきて、Hola! Señolita! と言う。私はHola! niño bonito! と返す。I'm not niño, niña!!と言われて笑いあう。私はその子をniño(ニーニョ)と呼ぶようになった。

いつもトコトコ着いてくるバス停までの道で、毎日どうでもいい質問をしあって帰る。
日本のどこからきたの?
メキシコからいつきたの?
日本はどんな国?
メキシコは安全?
ずっとニューヨークに住むの?
パパとママは一緒に住んでるの?

毎朝早くからベーグルを焼いてから学校にきている19歳のニーニョは最初、就労ビザを持ってると話していた。兄弟たちと一緒に住んでいて、パパとママはメキシコにいる、と言っていた。
だけどある日、私が「メキシコからニューヨークへは飛行機できたの?」という質問をした時、とても複雑なルートを説明してくれた時、あれ?と思った。
メキシコ国内で国内線飛行機を使い、そのあと車で十何時間かけて国境まで行き、国境を超えて、また車で移動した。
メキシコ国境からニューヨークまで、車で来るなんて何日かかるんだ?と思いつつ、なんでそんな複雑なルートで来たの?直行便ないの?!(笑)と聞いた。
すると、ニーニョは少し黙って、'Nina, I don't have a visa'と言った。

ニーニョは16歳のとき、メキシコのブローカーに30万円ほど支払って、兄弟とともに国境を走って渡った。
ニューヨークで稼いだお金を、メキシコの家族へ送っているそうだ。

「ニューヨークは最高だよ、どこの出身の誰だって自由に生きられる。高価なものを身につけたって誰も構いやしないから、好きなものを身につけられる。メキシコにいたら、そんなもの身につけてたらいつだって命を狙われるよ。
ここは素晴らしい所だ。僕はここで一生暮らして、いつか家を買うんだ。」

国境を越える時は怖くなかった?と聞くと、「兄さんたちと一緒だから何も怖くない。しかも僕は16歳で何も分かってなかったからね。ただついて行ったんだ」と話した。

「メキシコは今物価が本当に高い。チキンを買うのに10ドルもするよ。ここで買えば4ドルもしない。あんな生きにくくて危険な所では、本当に暮らせないよ。」

ニーニョの話を聞いていると、15歳で学校を卒業したあと1人で朝鮮半島から日本へ渡ったきた自分の祖父の話と重なった。
日本の植民地下にあった朝鮮半島で農家をしていた一家は、どんなにがんばって農作物を植えても全て日本政府に持っていかれ、家族は飢え、このままでは本当に生きていけないと思った祖父は、長男の責任を背負って1人日本へ渡った。
社会背景は全然違うのに、重なる部分が多い気がした。
若くて小さいニーニョを見ながら、天国にいる自分のおじいちゃんを眺めているような気持ちになった。


ニーニョが家を買える日が本当に早くきたらいいな。メキシコでの暮らしが、早くよくなったらいいなぁ…。

かわいい弟ができた次は、どうしてメキシコの暮らしがそんなに大変なのか、知りたくなっている。

photo:01


電車が止まるとき、きぃぃぃぃいいいいいい!!と黒板をひっかくようなうるさい音が続く。
駅は汚くて古いし、電車もだいぶ古い。
日本や韓国、タイやシンガポールの電車の方がよっぽど新しくて綺麗。
道は清掃の人が居ても汚くて、歩いている人たちは特にオシャレでも何でもない。

もうつくづく感じずにはいられないのは、
ここが「移民の国」だということ。

そして想像していたほど、誰もが裕福そうには見えないこと。


ニューヨークに来て何度も聞いた話が、ウォール街占拠の話。
リーマンショック後の雇用率の低下とか、1%の富裕層はどんどん豊かになっているのに99%はどんどん貧しくなっていっているシステムとかにアメリカ国民が抗議してすごい人数あつまってウォール街を占拠したらしい。
今日ドキュメンタリー映画でも観たけど、警察がどんどん一般市民を逮捕して、(何もしてないのに!)ウォール街に座り込んで国に対する文句を叫んでるからって、バイクで足ひいてまで逮捕したり、警察が市民にぶわーって催涙スプレーかけまくったりしてて(痛そう!><)すごかった。

日本にいれば、女の子たちはチャラチャラとギャルやったり、高いヒールはいてテクテク歩いたり(私も含め)してるし、みんな低賃金だろうが休みなしだろうが仕事がんばって稼いでる分ちゃんといい服着たりいいカバン持ってたりして、けっこう私には日本ってまだ豊かに見えてた。

けどニューヨークにくると、裕福な人ってあんまりわかんないだけなのか、
あんまりお金なさそうな人ばかり目につく。
いつも危険そうだからカバン抱きかかえてるし、
マクドナルドでmac book開いてたら、中国の電車の中でmac book開いた時ぐらいのギラっとした目つきで見られてる感じさえする。


思い過ごしかも知れませんが…。


でもいつも思ってたんだ。
アメリカが世界の至る所に基地を作って、戦争してはお金かせいで、その口実のために国民も殺すのなんて屁でもないし、世界銀行とか大統領とか世界を動かしてるほんのちょっとの超絶なお金持ちたちがもっとお金持ちにあるためだけの政治をしているんだったら、
だったらなんで、これまで国民に、まるで安定しているかのような幸せそうな生活を与えてきたんだろうって。アメリカンドリームはきっと誰もにあって、資本主義の流れに乗って頑張れた人々はちゃんと幸せになれる、そんな幻想はちゃんと持てたんじゃないのかな…って。

それを今更、どんどんあからさま化して、もうバレバレ状態なんだからそりゃ国民も怒るよね。
私はとりあえず活動家じゃないし声をあげるだけでどれだけ効果があるのかわからないから何もできていないけど、政治に対して国民が怒って変わっていく…ってのをなんだかじんわりと感じた気がしてる。

日本の原発反対デモとかは、一部の人だけじゃんって感じで、「過激派」がやってんじゃないのとか、やっぱ多くのOLとかギャルとかの中では遠い存在で。
デモとかなーんかダサいしそれより自分の今の悩みとかお金稼ぎとかが重要だった。

でもなとなく、ここにきてそれがイメージできたような気がする。


ちなみにアメリカのテレビを見てると吐き気がしそうな時がある。
わざとらしいっていうか。特にオバマがしゃべっている番組。。わざとらしすぎて吐きそう。


アメリカってすごい国だと思ってたし、かっこいいイメージもあったけど、
今回来て、まず現実を知ったって感じがしました。
国民はちゃんと考えているし、ある意味アメリカ国民見直しました☆

長くなったけど、1週間目のニューヨークの印象はそんな感じでしたー(^-^)/

Candy's Blog
私は今、ニューヨークのwest sideに住んでいます。
今日は少し足を伸ばして、13stの映画館に行くつもりです。
その前に近くのmacでwi-fiつないでます。

New Yorkではあまりに人々が気軽に話しかけてくるので、話していいのか悪いのかわかりません。
今は向かいに座った自称英語の先生&コメディアンの人が話しかけてきて、iphoneをアメリカで使う方法やグラフィックデザインの学校の事をいろいろ教えてくれました。知らない人と話すなんて日本では怖くてあんまりしないけど、これはニューヨークなのかな…?と思い。。

新しい場所に来て、すごくゼロからスタートしてる感ありありです。
友だちもいないし、どこに何があるのか、どこへ行くべきなのか、全くわからない。
学校が始まるまではまだ10日ぐらいあるし、毎日これをやるぞ!と決めないとダラダラしそう。

そんな中で思う事は、人がゼロから生きていく時に必要な事は何かということ。
上から順番に、重要なんじゃないかと思いました。

<生きていくために必要な条件>
・安心して住める場所がある事
・おいしいと思える食べ物にありつく事
・友だち・話し相手がいる事
・長期的に、お金の心配をしなくていい事


着いた最初は、住む場所が心配だった。
それが安心できると、今度はおいしいものがめちゃくちゃ食べたくなった。
日本で当たり前にありつけた好きな食べ物がどこに売っているのかわからない。
それにありつけたら、今度は友だちが欲しくなった。
そして私は本当に今後大丈夫かと不安になってきた。

そうやって順番に欲が出てきて、ここが自分の街になって行くんだなぁと実感。
1日目よりもうんと自分の街になってきたし、これからもっと馴染んでいけるといいな。
今日観る映画はAMERICAN AUTUMNという映画。
ウォール街を占拠する人々を1年間追ったドキュメンタリーだそうです。楽しみо(ж>▽<)y ☆
旅をしていた約4ヶ月はすごく長く感じたのに、
その後の日本での6ヶ月はとても短く感じた。

スタバのソファに座って洒落た広告を見ると、
ロンドンのカフェで今と同じようにラップトップひとつで仕事していたのを思い出す。
寒い冬だったけど、暖かくなったらきっとロンドンへ戻って、
デザインと英語をブラッシュアップしてやると願ったのは半年前。

ロンドンから、次の目的地をニューヨークへ移し、
学生ビザも申請が降りて、いよいよあと1週間そこらで出国する。
日本の大切な人たちに会えなくなる寂しさは日に日に大きくなるけど、
ようやく、自分が新しい環境での冒険に旅立つのだという事を認識し始めている。

いつだって私の旅立ちを惜しんだり心配したりする人たちがいるけど、
そろそろこうした旅立ちへの直感的衝動は、確信へと変わってきている。
少しの間だけ、迷惑をかけてしまう相手もいるかも知れない。
それでも、冒険の中で付けて持ち帰った力は、確かにその人たちに、
どこにも行かなかった以上のクオリティをもって返していけるんじゃないか、
それをこれからも、続けていけるのなら、
少しの間だけ、許してもらおう、と勝手ながら思っている。

やりたい事に、正直に進む。
自分が満足するための、受けた生なのだから。
流されず、自分の頭でかみしめ、考え。

どうかニューヨークにも、素敵な出会いたちが待っていますように。