#記憶に残ってる学校の先生 それは私本人です❗️教員を目指す方へ 前篇 | アトリエ・アー オーボエ吹きの日常

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…前回より続く

記憶に残ってる学校の先生

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記憶に残っている学校の先生は

私本人です❗️

前編

 

逆の立場ですが記憶に残っている生徒たち

 

 

楽しかった40代…最も充実して体力もあった

私が若くて勤務時間を意識していなかった40代までは、「知識と経験」があり、指導可能な部の顧問だった頃は楽しくて19時くらいまでは平気で部活を行っていた。当時は県教委も「働き方改革」の概念もなく、勤務時間(業界では「拘束時間」とも言う)の詳細を知りつつも、かっこよく言えば 「犠牲的精神的」で部活の指導を行っていた。実際には吹奏楽部で自分の楽器の練習も出来たので、自分のテクニック向上も出来てちょうど良かったのだ。幸いにも部員に慕われて、あるいは部員に恵まれて、有意義な時間だった。レッスンを行うことは自分の音楽力向上にもなった。楽器の応急修理の技術も習得していたので、概算で毎年10万円相当の楽器修理(主にオーボエ・クラリネット・サクソフォン)を行った。自宅と学校に楽器修理BOXを常備していた。自分の楽器は安い軽自動車が買えるような価格なので毎日持ち帰り。当然、オーボエ用の最小限の修理アイテムは楽器と一緒にバッグに入っていた。従って、3つの修理工具セットを所有していた。専用の工具もあれば、ホームセンターで買える工具を加工したもの、ハンズでようやく買えるようなものもあった。

オーボエのレッスン・木管セクションはもちろん、金管セクション安い打楽器セクションの指導方法もある程度は恥ずかしながら心得ていた。

Tutti(いわゆる全体の合奏)のトレーニングや、正顧問(金管吹き)と私副顧問(もちろんオーボエ吹き)で曲を分担して、本番でも振らせて貰えた。それはそれは楽しいひとときであった。部員も上達するし、私も上達する。

次の説でも言及するが、真面目な生徒・不真面目な生徒あるいは上手に演奏する生徒・上手く演奏できない生徒など、分け隔てなく接していたと最近言われてハッとした。

 

楽しかった担任業務

担任を持つたびに生徒に恵まれ、男子生徒からも女子生徒からも慕われることが多かった。真面目な生徒・不真面目な生徒など、分け隔てなく接していたと、当時の生徒から最近言われた。自分では意識していなかったが…

また、担任を持っていたときは、特に1年生の担任のときは自分のクラスルームで生徒と一緒に昼食を取った。入学したてに頃は生徒は自席で、私は教卓で昼食を取った。生徒の人間関係が出来てくると、生徒は机を移動して仲良しグループで食べるので、毎日違うグループにお邪魔して一緒に食べた。生徒は中学校まで担任と給食を食べていたから、担任の私が教室で生徒と一緒に食べても、生徒は違和感を持っていないようだった。初日からそういう風にしたので、そんなものだと思ったに違いない。何日かすれば他クラスの友達と情報交換を行って、なんでウチの担任だけ教室で食べるんだと思ったに違いない。それでも、生徒からお菓子をいただいたり、楽しかったから、勤務時間外という心理的苦痛は全く無かった。

 

生徒に感謝とお礼の品

逆に週に一度くらい早朝に40人に行き渡るように、しかしちょっと多めにお菓子の差し入れをした。進学校なので授業で脳が糖を要求するのだ。早く登校するメンバーは決まっていて、そういう生徒にお菓子を託した。差し入れで自分の評価を上げようなどとは思っていなかった。特に女子生徒はお菓子が好きで喜ばれた。それがクラス全体に「感染」して男女問わずお菓子を食べていただけるようになった。大体週の初めに持っていったり、拾うの溜まる週の最終日に持っていったり、色々タイミングを工夫した。朝早く教室に顔を出すことで生徒の様子や健康状態も把握出来て良かった。早く登校する生徒の雰囲気がその日のクラス全体の雰囲気に影響しているようだった。

 

お菓子を与えればゴミが出る

ゴミは自分で持ち帰らなければならないので(市のゴミ収集の関係で地区の他校も同様)、掃除用具のキャビネットに市指定のゴミ袋を自費でセットして、お菓子のカラ、あるいは事情があってやむを得ず自分で持って帰れない場合は緊急避難的にこのゴミ袋に入れるように指導した。学校のゴミ箱🗑️に捨てて良いのは、再生できない紙ごみやティッシュだけ。再生可能な紙は専用のBOXに入れて掃除の時間に所定の場所にもっていかなければならばい。それでも匂うようなゴミを入れるケースはほぼ皆無だった。私の設置したゴミ袋からゴミがあふれるようなこともなかった。むしろ生徒が自主的にレジ袋を自分の机のフックにかけたり、教室のS字フックに掛けてゴミを持ち帰っているようだった。

教室内は常に清潔だった。自費の市指定ゴミ袋にゴミを捨てたレジ袋が入っていることも多かったが、そのために設置した訳で問題はない。週に一回指定ゴミ袋を自宅に持ち帰って処分した。私の恩師でもある同僚も似たようなことをしてクラスのゴミを集めていた。

 

人間が住みやすい教室に

教室に後方に人数分のS字フックがある学校だったが、それだけでは不便と思って私が自宅からクリーニングに出すと付いてくるハンガーを教室に配備した。S字フックは可動式だが、ハンガーを掛けるとS字フックと干渉した。生徒は上手くハンガーを利用したり、S字フックを利用したり、教室の後ろも綺麗に維持出来た。

掃除の時間に、万が一教室の後ろの棚に私物があったら有無を言わさず生徒の机の上に移動した。机に落書きがあったら毎日必ず強制的に消した。イタチごっこであった。しかし、いつの間にか、その手間も少なくなっていった。生徒も理解して、ダメなものはダメと徐々に思ったらしい。実際に生徒から「(落書きを)せっかく上手く描いたから消さないで!」と言われたり、私物を移動させると「どうせもうすぐ部活持って行くからいいだろう!」などと言われたが、どんなに「いい子」でもダメなものはダメ、と繰り返し教えた。今でいうブラック校則ではない。マナーの問題である。ここに私物を置くな、とか、落書きをするな、とか掲示は絶対にしなかった。登校初日からそういう風に口で言って指導した。一応進学校だから、話せば絶対に理解してくれるという信念があった。

なぜか、机に落書きをするのは女子生徒で、教室の棚に私物を置くのは男子生徒だった。

 

思わぬ結末が‼️…出席簿が綺麗😱

そんなこんなで、生徒同士仲の良いクラスになった。本来、1年生の特にスタート時に馴染めないと理由の不明な欠席や不登校が出て来やすい。

担任は必ず成績会議の資料を毎学期作成しなければならなく、欠席や欠課が多いとカウントが大変で何度計算しても合わないなんていうことが多い。

我がクラスは1学期、学校で唯一欠席・遅刻・欠課・早退0️⃣で出席率100%となって、学年主任は大喜び。学年の担任団の中でも大きな話題となった。先ほど書いたように1年生の初期段階は欠席などが出やすい。その1年生の1学期でこの結果は私もはじめてだった。出席率100%を目的とした訳では無かった。私も集計するときにはじめて気が付いて驚いた。出席停止(感染症など)や忌引はあったので、一応集計はした。出席簿が綺麗だから集計の必要がほぼほぼ無かったのだ。業界では出席率が良いことを出席簿が綺麗だということが多い。

 

 

仲の良いクラスは私もはじめて

クラスの団結力が強すぎて、クラス替えが近づくと「このままのクラスで卒業したい」と何度も泣きつかれた。特に女子生徒の人間関係はデリケートなようだった。私だってこのクラスのままが良かった。男女の仲も良く、私も分け隔てなく生徒に接した。

自宅が近いので天気の良い日は自転車で通勤して、同じ方向の生徒と集団下校することも多かった。集団下校しても、徐々に人数が減っていく。とくに女子生徒が少数残ったときは遠回りしてでも一緒に付き添った。生徒が「1人だと怖い」と言って、自宅近くまで一緒に帰ったこともあるが、生徒の自宅までは付き添わなかった。自宅の場所が知られるのは嫌だろうから「この辺で🆗」と言って貰い、自宅付近で解散した。

しかし、文理に分けざるを得なく、一部の生徒からは抗議のメールが来たりして、私も心を痛めた。教員生活38年間で最も心を痛めた。

 

犠牲的精神

犠牲的精神は生徒のためでもあり、自分のためでもあったっし、学校のためでもあった。さらに言うと人間社会のためでもあった。苦痛は無かった。生徒と揉めることもあったが、説明すれば理解してもらえた。まだ40代で若かったので出来た。生徒に恵まれれば、超過勤務や持ち帰り残業も苦にならない。同僚や上司に恵まれないのが最悪である。特に上司がダメだともうその1年間は苦痛である。特に教頭と馬が合わないと苦痛は最高潮に達する。

 

生徒に寄り添うとは…

3年間通して時間を見つけては生徒と過ごす時間を多く取ったので、通知表・調査書・指導要録に書く所見のネタには困らなかった。むしろ書くことが多すぎて精選するのが大変だった。

残念ながら進学実績は学年で最低だった。たとえ実力が不足しているのは互いに分かっていても、生徒と保護者の方針を優先した。生徒の学力以下の大学等安全圏を希望していても、さらに偏差値の高い大学を受けさせて、学校の実績を作るようなことはしなかった。

トップクラスの成績の生徒が地方公務員を希望していた。3年間担任した生徒で入学時から地方公務員を希望していて、1年生のときから休み時間に公務員の対策本を勉強していた。運動部で夜遅いからであった。それを知っていたから、生徒本人の人生を曲げたく無かった。おかげで屈強で成績も良いな彼は第一希望の公安職に一発合格した。

生徒に寄り添うとは,単に物理的に一緒にいるだけではないし,生徒に迎合することでもない。生徒の心の声を聴くことである。

 

 

続く…

 

 

 

 

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