いつも肝心なことは言葉にできない

そう思って生きてきたけど
もしかしたら言葉にならないのなら
言葉にしなくてもいいものなのかもしれないなと
ちょっと思う




小学生のころ
好きな人に好きだと言えないどころか
叩いたり蹴ったり
そんなちょっかいのかけ方しかできなかった

なかまたちにだって
「卒業していなくなるの寂しい」と
「あなたがいなくなった後も頑張るね」が混ざりに混ざって
「あんたがいなくなったら清々する」って吐き捨ててビンタされたり(そりゃそうだ)


思い返してもまぁ酷い



なにか言わなきゃって考えれば考えるほど言葉は出なくなるし
ぽんと口をついて出るのは
どうでもいいことばかりで
ほんとうに伝えたい気持ちは心の奥でまるまって小さくなって傷つけるようなことしか言えない

どうでもいいことは
ほんとーにぺらぺらと口をついて出るもんだから
口達者と思われて
だからよく、なんで自分の意見が言えないのかって怒られて




口が回るのと
気持ちを素直に出せるのは別モノ

そしてその気持ちが
素直な状態で心のなかにあるのか
わかられたくなくて必死に逃げ隠れしてフェイクをかざしているのかでもまた違う






ここのところ
昔の友を思い出すことが多くて
心の中でごめんねって思う

山羊座のお月様は怖がりで素直じゃない

蟹座の月の息子を見ていて
心の駄々漏れ具合と
それで周りを幸せにしているところが
いつもほんとにすごいなと思う


素直じゃないのを
そこまでの素直に持っていこうとすること自体
どーしても無理があるぞと
この10年あれこれやってきてわかった

見習いたいな、と思う
けど、同じにはできない
ただ素直なわたしであれますようにと祈るしかない




冬至で太陽が山羊座入りしてから
1月5日の小寒で折り返し地点を過ぎて
11日には山羊座で新月を迎え

このときの星の語りが自分の中では色濃くなった
「言葉」と「わたし」の関係みたいなところ
全然わかんないんだけどねぇ







「言わなきゃわからない」と
「言わなくてもわかるだろ」は
背中合わせでどうしても存在する


わざわざ言われなくたって
わざわざ言わなくたって
なんとなくそうなんだとわかっているし
きっと伝わっている

けど
確信が持ちたくて
早くわかりたくて求めたり

どうしても伝えたい気がして言葉にしてみたり


だけど言葉にした瞬間に
なんか違ってたり、薄い気がしたり、
波間のグラデーションがどうにもならなかったり
わかってほしいのはそんなことじゃないのにって思ったり


もどかしいよなぁ
感じ取れば感じ取るほど乖離する
水に映る月みたいだ







水面のゆらぎのような音や
優しくゆれるカーテンの奥に
渦巻く叫びがある


蠍座色が濃い人のホロスコープをみているとき
いつも感じること

ずっと、さらりと淡々と語っているのに
あるところに到達すると怒濤のように流れ込んでくる思いがある

懐かしかったり悲しみの色を抱いていたり

決してその悲しみを
星の語りの中でぶん投げてくるようなことはしないのよ
ただ抱いて微笑んでいたり
遠くを見ていたり

でも溢れる
溢れ出す
そして溺れさせまいと遠ざかる
何事もなかったかのように
また淡々と




人はかなしい
かなしいものですね
それでも過去たちは
優しく睫毛に憩う


愛燦燦のあれみたい
どうしようもないものを抱いて
優しく微笑む世界


いつかこの歌をね
さらりとうたえるようになってみたい

これから先、10年とか20年とか
今まで感じられなかった心を拾っていった先で
そんなわたしに出逢いたいのね



なんだか脱線したような(笑)

思い出もなにもかも
ぶどうの房のように触れあっているから
わたしの中ではぜんぶ繋がっています







🌖🌖🌖


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