子供が親のタンス預金を友達が進めるものに対価を何十万と支払っていたという事件。この事件で私はつくづく考えてしまいました。物心ついた頃から仮想通貨やカード払いが当たり前。現金は落としたり盗まれたりお釣りが面倒と利便性はよくわかりますし時代と共にすべてが変わってゆくのでしょうね?

ただ先日の事件のように、タンスにあった現金の価値や意味がわかっていないのでは?と思うのです。簡単に置いておく親もよくない訳で、子供からするとただの紙切れぐらいにしか見えないのかもしれません。10円のものを買おうとしても1円足りなければ買えない。スーパーのビニール袋でさえ3円から数円なければ買えないのですが、キャッシュレスならほとんどの場合買えてしまう訳です。数円の大事さをどうやって教えたら良いのか。1万円というお金も一生懸命働かなくては手に入らないということがわかっていないのでは?とあの事件で考えさせられました。

アメリカなどでは、小さな頃からお金は働いて得るものという認識が強く、何か欲しかったり遊びに使いたかったらバイトをするのです。枯葉で火事になったり雪で滑って怪我人が出たりするとその前の家の責任になるので雪が降ったりするとすぐ子供達が「雪かきするよー」と仕事探しに来ます。ベビーシッターやレモネードを作って売るのも当たり前。

日本に学校では、お小遣いのあげ方を聞かれた時、必要以上のお小遣いは家事をやった対価としてあげたりもします、と言ったところ、先生にそういうあげ方は良くないです、と言われてしまいました。あー、全く文化が違うのだな、どうしよう!!です。

日本では子供のために一生懸命働き少しでも子供に残さなくてはと多くの親が思っていると思います。

でも私はいつも働かないで得たお金(例えば遺産やくじ等で当たったとか)はその人を滅ぼすものだと若い頃はよく考えていたものです。

ですから、何かで頂いたりポッと入ってきたお金は他人のためにすぐ使うことにしています。それが良いか悪いかは私自身もわかりませんが、小さい時から金銭感覚の教育というのはとても大きいような気がするのです。お金は何かやるべき時は沢山要りますが、使い出せばすぐなくなる・・・・のです。昭和の私たちは1円、2円、1万円、2万円と硬貨やお礼がお財布にどれだけあるか、あと少ししかないからどうやって数日間過ごすのかを考え計算しながらの生活でしたし、1万円出したらお釣りはいくらか・・・・とすぐ暗算する力がいつの間にかついていたような気がします。知らないうちに楽しく算数の練習もしていた訳です。

これから育つ子供達にお金の価値ということをどうやって教育していかなくてはならないのか、これは文部省などもよくよく考えていかなくてはそのうち1万円札を見てもただの紙切れ?としか見えなくなる人間が育ってしまうのでは?と老婆心ですが考えてしまいます。死に金使うな、生き金使えなどという言葉も今やほとんどの若者がわからないのではと思います。

お金の使い方は賢さが必要なのです。

 

 

 

 

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