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先日、上司と打ち合わせをした際の観察になります。

 

開催まで1週間を切った段階で、あるイベントに企業出展する際の宣伝用のパネルやら看板やらタペストリーみたいのを作りたい!と上司が言い出しました。

その形態はなんでも良いとして、チラシみたいな渡す用のものではなく、ブースにデーンと置くプロモーションアイテムです。

製品のこういう面が一目見てわかるようなプロモーションアイテムを作りたい!と週末を入れて5日しか残ってない段階で言い出しました。

 

わたしは、え~、今からかよ、、と即行文句の思考が出ました。企業出展は前々からわかっているのに、なぜもっと早くに言わないんだ、、と。。。

 

そして、その日の打ち合わせは本当は3時間の予定でしたが、そのあと会議室が取れる目一杯の時間(4時間くらい)使って

上司が納得いく形ができ、それを急いで印刷してくれるところへ上司がもって行く、ということでとりあえず終わりました。

(本当は、17時頃には貸し会議室から帰宅しようと思っていたのに、終わったのは20時過ぎでした。。)

 

この作業中、上司に「こういうのはもっと余裕をもって指示が欲しいです」と何度か言いそうになりましたが

それは何とか飲み込んで、作業を進めました。(今までだったら、一言絶対言っていたので、一つの未知の創造と言えるかな←無理やり・・w)

 

 

このわたしの否定的な反応は、

自分の思い通り(早く帰りたい、仕事は余裕をもってやりたい、ギリギリでやりたくない etc.)にいかない現実に対して

怒り(イラつき)を投影しています。

つまり、思い通りの現実にしたいという傲慢な自我、わたし最高位 の自我様の反応です。

 

 

パネルやタペストリーのデザインファイルを作成する中で、上司はその作成をわたしに丸投げすることはなく

お互いに慣れないデザインやデザインファイルを作成するソフトウェアを使うにあたり、こうするといいんじゃないか、とあーだこーだと言いながら、一緒にやっている中で

「イラっ」にフォーカスせずやっていたら、別の観点が出てきて

「上司はわたしより立場が上であるが、部下に丸投げせず、自らも時間を使って一緒にやっている、、」という事実に対して、好意的に捉えるわたしもいたんです。

 

これは、「立場が優位な方が得をする、楽をする、劣位に対し力を持つ」というドラマを使う傾向があるのかな、と観察します。

立場が優位な方が劣位にやらせる、という構造ではなかったため、その現実を好意的に捉えるわたしがいたのかな、と。

 

 

上司は、今までもそうなのですが、いろいろがギリギリなことが多く、以前も会社紹介のプレゼンをあるイベントでする際に

同僚がプレゼンターを務めたのですが、前日まで、プレゼンの構成を替えたりして

前日夜遅くまで上司と同僚はやりとりをし、プレゼンターの同僚はほとんど寝ずに修正と練習をしていたようです。

 

また、スマホとか、財布とか、鍵とかをよく失くすというか、「どこやったっけ?」が本当に多く、車の駐車場券もよく失くして追加料金とかとられています。

 

上司は、自我がこれ!という興味関心とか、想いとか、考えとか、気持ち みたいな最優先が立つと、それ以外に意識が行き届かない ことがままみられるのです。

 

こういう上司が鏡とするならば、やはり、「自我の想いとか気持ちとかこうしたい!」などが最優先で、

その場における俯瞰点がとれず、全なる一が観えてないわたしの鏡ということなのでしょうか。。。

 

サポートですから、こういう上司が凸としたら、わたしは凹という動をとっていく、

上司というサポートの対象をしっかりと観察をしてあらゆる想定に対し、準備をする、という仕事ですが

次回からは、もう少し早めにこういった要望、希望があるのかなどを確認し、上司に早めに意識してもらう、という動はとっていきたいと思いました。

(やはり、時間に余裕がないと、質が落ちる可能性は高いと思いますので。。)

 

 

最後に、下記のブログの一部を引用して終わりたいと思います。

 

 

「リスタート」という
「現在地から最善最良」を
創造する事に生きるならば、
「現実は変化しない」ことを
「受容した状態」を体現します。

つまり「動じない」こと。

「変化させようとあがく
 全ての動作」を停止します。

色々「思うところ」があっても
「不平不満や怒り」があっても、
それらは「リスタート」の
何ら助けにもならないどころか
足を引っ張るだけです。

「自分で自分を損な状態へ
 追い込む創造」から手を引き、
「不要な自我の雑音は流して」
「必要な音をだけ」を聴きます。

基本的にわたし達は
「世界の一片」として
「大いなる意識の創造」に
関わる者であり、

3次元的な「仕事」のみならず
全ての「創造場の主」として
「創造に仕えるスピリット」です。

ですから、到来する一つ一つの
「自分が担当する現実場」の
創造に対して「プロ意識」を
持つようにします。

「プロ意識」とは言い換えると
「自己責任」になります。

なので「目の前の創造場」の
「創造軸」を観抜き、
「わたしの担当する動」にだけ
全てなる力で集中します。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました☆

それではまた!