トークイベント野村喜和夫×中村邦生@読書人隣りと神保町「魚金」での打ち上げ | 野村眞里子のブログ <オラ・デル・テ>

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一昨日(9月26日)は朝からいろいろな打ち合わせがあったが、夜は神保町で行われたトークイベント野村喜和夫×中村邦生「〈遊歩〉の想像的足取り――『観音移動』×『変声譚』をたずさえて」を聞きに伺った。

 

イベント会場は大学院時代に足繁く通った本屋街にある。すぐに見つかると思ったのだが、「読書人隣り」という記述が案外難しく、私を含め多くの観客が迷いながらたどり着いた。

 

18時半開演。中村邦生さんの著書『変声譚』と野村喜和夫の著書『観音移動』が机に置かれた壇上に、2人が登壇した。

 

まず、野村が『観音移動』を書いたいきさつを紹介。すなわち、2年ほど前『シュルレアリスムへの旅』(2022年、水声社)を書いている最中、シュルレアリスムの核心的な事象が自分の身の上に起こったことに衝撃を受け、それを書き留めたのが『観音移動』なのだとのこと。

 

次に、中村さんがイベントのWebページに書かれた次の言葉を紹介された。

 

「水声社から刊行した二冊の本をたずさえて、

野村喜和夫氏と中村邦生氏が、本から本へ、町から町へ、声から声へ……

〈遊歩〉の想像的足取りで、

此岸のみならず彼岸へも、皆様をお連れする(かもしれません)。」

 

中村さんは「これは困った」と感じたそうだ。そして、「彼岸に皆様をお連れするのは野村さんの役割にしようと決めた」とおっしゃり、観客の笑いを誘った。

 

こんな風に始まったトークだったが、中村さんの直球の質問に対する野村の答えが「暖簾に腕押し」のような雰囲気で、なかなか面白い。

 

中村:本気で書いたんですよね、これ?

野村:僕は詩人なので、小説に手を染めることはやるまいと思っていました。でも成り行きで、何冊か小説を出しました。でも、あくまでも余技、遊びなんで、気楽に書けるんです。

 

また、野村の質問に対する中村さんの答えで、話が一気に進む。

 

野村:中村さんは『観音移動』をどのようにとらえたのかお聞かせいただけますか?

中村:7つの作品のスタイルが違うことに驚きました。僕は、作家性があったり、一貫性を持っていることより、スタイルが違う方が好きです。(中略)ものを書く時のエチュードは、24通りでないと作家ではないとさえ思っていました。まさしく、野村さんの今回の作品はスタイルがすべて異なっている。詩人なので平気でやっているのでしょうが、その厚かましさが好きです。

野村:僕としては、方法意識というものはないです。7つ書いたらそうなっただけです。ほぼ1人称で書いていますし、言い換えると私小説です。

中村:私性を維持しながら、それが一つの実験になっていることが素晴らしい。

 

そして話は進み、二つの小説のキーワードとも言える「時空の歪み」へと至る。

 

中村:詩人的特権というのかもしれませんが、野村さんはダイナミックな横への動きを平気で無視して書いちゃう。うらやましいです。余技のわけはないでしょう? けっこう本気だと思いますよ。

野村:まさに図星を指摘されたような気がします。時空の歪みは、この2つの作品集に通底させているコンセプトですね。中村さんの『変声譚』における時空の歪みの場設定は、興味深いです。Nが執筆している場所「土竜庵」があり、いろいろ物語が進んだ後、最後にそこに戻ってきますよね。本格的なフィクションの姿だと思います。

 

さらに二人は、「詩人はイメージの飛躍、言葉の接続・切断・飛躍を自由に行い、物語の合理性を考えない」が、「小説家は合理的なリアリティを持たさなければならない」と言う。そして、作品からの具体例をいろいろ紹介した後、中村さんが突然話題を変えた。

 

中村:散歩の話していいですか?

野村:僕は毎日3時か4時から狂ったように散歩します。

中村:私は狂ってはいません。むしろ取材としての散歩です。

野村:つまり二人の大きな違いは、僕は取材では散歩しないということです。

 

この後、中村さんが現実の散歩で見た光景が、小説としてどのように完成したかを細かく解説してくださった。とりわけ印象に残ったのが、『幽明譚』の「オレンジ色の少女と夜学生」だ。ぜひ読んでみたいと思った。

 

その後、話は詩や俳句や短歌にも及んだ後、二人は自分の散歩を次のように解説した。

 

野村:僕の散歩はうわの空散歩です。何も世界を見ていない。歩いているとだんだんトランス状態になるんです。そんな時、天からフレーズが下りてくる。それをとらえます。

中村:私の方ががつがつしていやしい散歩です。ハンティングに近いです。自宅の周りの散歩は好きではないので、あるところまで行ってそこから散歩します。その場合2つのことが重要です。いい喫茶店があるか、そしていい古本屋があるかです。つまり、遠征する感じ、小さな旅、なかば非日常です。

 

そして、中村さんが野村に散歩の具体的な例を尋ねると、野村は『反復方向』について説明した。

 

野村:そもそもの始まりは渋谷でバスに乗っていた時、ある杭を見たことでした。その杭には「国木田独歩住居跡」と書かれていました。すると、その一行が啓示のように渦巻き始めたんです。そこで、バスを降りて探したんですけどなかなか見つかりませんでした。その結果、杭を探す旅について書きました。

 

さらに、川についても野村は話した。

 

野村:実家のそばに源流があって、川越に流れています。不老川というのですが、川に沿って狭山ヶ丘という駅まで歩くのが心地よかったです。川は想像的世界で特別な意味を持つように思います。

 

トークも終盤に入り、中村さんと野村が生い立ちについて話し始めた。すなわち、小さい時にお父様を亡くされた中村さんは、一家離散などの悲しい目に逢われて、生活環境に断層、断裂があったそうだ。

 

野村:中村さんは驚くべき記憶力をお持ちです。特に幼少期の記憶が凄いです。たとえば、カマキリがアリを食べる場面を記憶されていたり…

中村:僕の記憶というものは生活環境の断層にへばりついています。そこに宿り、エピソードが刻まれます。

野村:僕の場合、断層はないです。日が昇って日が沈むという生活でした。特別なことは何も起きない。そして人間関係の波乱万丈もないですね。

 

そして、そろそろトークを締めくくらなければならない時が来た。

 

中村:彼岸は?

野村:作品を読んでいただくしかないんじゃないですか? 僕の場合は、ルーツも移動もない。だから、今、ここが嫌なんです。そんなわけで、たくさんの異界、他界が出てきます。

 

すると、中村さんが二つの作品に共通している「自転車」について話を進め、さらに野村も「落ちる」という共通項に話を進める。さらには、二人の共通の知り合いであるオノデラユキさんの作品「オルフェウスの下方へ」と、話は尽きない。

 

しかし、時間もかなり超過したため、「次回はアフォリズム対決をしましょう!」ということになり、この刺激的なトークは終了した。

 

トークイベントの後、総勢10名で打ち上げに行った。「ランチョン」や「揚子江」は時間や人数の関係で無理だったため、神田すずらん通りの「魚金」にうかがった。

 

まずは、乾杯。お店の方に撮っていただいたが、お一人顔出し不可の方もいらした。突き出し2品。

 

 

 

 

 

 

注文したものは下記。すべて水声社のHさんにお任せした。お刺身盛り合わせ。ジャンボメンチカツ。豚肉の角煮。ピリ辛よだれ鶏。たたききゅうり。どれもたいへんおいしくいただいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさま、本日はありがとうございました。そして「週刊読書人」スタッフのみなさま、お世話になりありがとうございました。