靭帯損傷じゃなかった!? | 野村眞里子のブログ <オラ・デル・テ>

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昨日の朝は、京都のホテルで7時に目が覚めた。外は雨。


前夜コンビニで買っておいたパン――ホテルの朝食は高いので、めったに食べません(笑)――と、紅茶の朝食をとる。




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8時半、タクシーで社会保険京都病院(これまで病院名は伏字にしていましたが、なでしこジャパンとその専属ドクターである原邦夫先生のワールドカップ優勝、国民栄誉賞受賞などにともない、さまざまな取材にも対応しているようなので、名前を出させていただくことにしました)へ。


ここは、高橋大輔選手の前十字靭帯断裂・半月板損傷の手術を行った病院。私はそのことを知らずにフラメンコ関係者の紹介で2011年5月に初めて受診したのだが――2010年2月に左膝を痛めた私は、東京で2軒の病院に通ったがいっこうに治らず、原先生のところに月1回のペースで通うことになった――、その時たまたま高橋選手がボルトを抜く手術で入院中だった。


ハードなリハビリの甲斐あって、私の左膝は昨年完治。しかし、今回別の個所を受傷してしまった。東京の病院では「左足首靭帯損傷」と言われたので、暗い気持ちで順番を待っていた。


2時間45分待って(!)、ようやく私の順番が来た。


「こんにちは。膝がぼちぼちようなったと思ったら、今度は足首? きついなあ。」
「はい。そうなんです……」


原先生が、まずレントゲン写真をご覧になってから、両足首を細かく検査。さまざまな方向に曲げたり、引っ張ったり、押したり……。


と、先生が立ち上がって足首の模型を持っていらした。


「足首をひねったのが1~2カ月前で、痛くなったのは1週間ほど前やったかな?」
「はい。」
「ひねった時に痛めた靭帯はここ。でも今回の痛みはそこと違うこっち。」


そうおっしゃりながら先生が指差したのは、腓骨筋(ひこつきん)と呼ばれるものだった。


「ひねった時に、靭帯は損傷していたかもしれんけど、気づかなかったみたいやな。」


(えーっ、靭帯損傷したまま、私はずっと踊ってたんだ!)


「痛めた個所をかばおうとして、余分なところに力がかかっていたらしいな。腓骨筋はアキレス腱などをかばう役割もあるんで、ダンサーが一番痛めやすいところと言われているんや。」


(ちなみに、原先生の妹さんはバレリーナのため、先生はアスリートのみならずダンサーの怪我にも詳しい。)


「靭帯も切れてないし、損傷もしてないし(自然治癒してたから、苦笑)、腓骨筋の炎症だけやから、手術もいらないし、リハビリだけで十分治る。」
「あ、ありがとうございます!」


その後、日常生活の注意と、リハビリの方針などを伺い、次回の予約をして診察室を後にした。もちろん、持参していたバレンタイン・チョコは忘れずに渡して――。(笑)


リハビリ・ルームへ。診察室前の待合室で会ったJリーガーたち(たぶん)はいなかったが、入院中のアスリート5人ぐらいといっしょに、舌先生――2011年からずっと担当していただいている――指導の下、4種類の足首用のメニューをこなした。


舌先生によると、私は外反母趾があるため足をひねりやすいから、同時に外反母趾も治すメニューを考えてくださった。


(ありがたい!)


1時15分過ぎ。リハビリ・ルームを出る時、舌先生にもバレンタイン・チョコをプレゼント。


東京に大急ぎで戻らなければならないため、病院の地下にある食堂でランチを食べることにした。メニューが豊富で、「いかにも京都」というものもあったが、無難に「豚の照り焼き定食」にした。病院なので、すべてカロリー表示があるのも嬉しい。味のほうは、病院なので……。(苦笑)




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食堂から出る時、ちょうど食事にみえた原先生――先生方と患者さんが利用する食堂は別の場所――と廊下でばったり。会釈。


(午前中の診察がこの時間までかかったんだ。先生も本当にたいへん。)


病院を出て、雨の中地下鉄「鞍馬口」まで歩く。


「靭帯断裂や損傷ではなく腓骨筋の炎症やから、そんなに心配せんでもええよ」という原先生の言葉が頭の中で響き、足取りは軽かった。


※     ※     ※


来週から「京都リハビリ日記」が始まります。お時間がありましたら、ご覧ください。