こんにちは。すえちゃんです。

 

自粛とかStay Homeの間に、知らず知らずのうちに

インターネット物申すマンになりそうになりました。

物申してるとちょっとすっきりするんですよね。

ちゃうちゃうちゃちゃちゃう!

私は常に面白おかしい人間でいたいの。

 

暗黒面って怖いなって思いました。

それはいつでも我々の足元で元気いっぱい口を開けている。

(主語がでかい)

 

 

そういうわけで、萬ムービーフェスが始まりました!

 

 

いや、始まってたんですけど、お客様の目に触れてはじめて、

始まれるってもんですね!

作品のプレミア公開(初出の際に、生配信のごとくリアルタイム配信され、

チャットでコミュニケーションとれるYouTubeのシステム)の際は

実はおうちでご飯を食べながらだったんですけども、

もう数十回は確認のために見ていた動画が、

人の目に触れてるって思うと震えました。

 

この瞬間を待ってたんだなあ。

 

今回のフェス参加団体の動画編集者の中で最もYouTubeが好きだと自負してますので、

もうこうなったらYouTuberになったつもりで目いっぱい楽しもうと

山(当社比)のように動画をつくってしまいました。

 

 

ひとつの動画に対して、編集変えて遊ぶって、前からやってみたかったんです。

やっと撮れた作品ですから、この先ももう少し、遊び倒そうと思います。

たぶん、この「恐怖緩和バージョン」は、あといくつか作ると思います。

アイデアが浮かんだらなんですけどね!

 

ちなみに「恐怖緩和」というのは、映画「犬鳴村」の予告編をリスペクトしています。

 

恐怖に打ち勝つための最も有効な武器は、ユーモアなのではないかな、と思います。

 

それにしても、サムネで遊び甲斐のある劇団員です、大西くん。顔芸マスター。

 

 

Stay Homeもなあなあで終わったかのように見え、

でも演劇界隈ではクラスターが発生したりと、

「どんなに頑張っても防げないなら、安全を期してお休み」派の風凛華斬は

年内はどう頑張ってもお休みになってしまいそうな気がします。

 

ここ数か月の私は、大変申し上げにくいんですけど、

「もしかして、自分は『演劇』という媒体がなくても、

クリエイティブに生きることができるのではないか?」と

元来重度のインドア派であることをいいことに

声優業に勤しみ、Vtuberプロデュース業に熱中し、ハンドメイドをし、

たまにインターネット物申すマンになり、

非常に楽しく暮らしておりました。

 

暮らしておる、つもりでした。

 

私は、声優で、動画大好きマンで、人を楽しませるには手段を選ばず、

できる手段は、こだわりなくなんでも手を伸ばす人間でしたので、

なんだかこのままみんなに会えなくても大丈夫かな、なんて一瞬だけ思いました。

(一瞬でも思って、ごめんなさい)

 

でも、だめでした。

 

はじめは、ネット上で、仲間内複数で、遠隔ながらお芝居を合わせたときでした。

自分がやった演技に、相手役の方からリアクションが返ってきたとき。

「相手が見えなくたって、己の技量で表現してやらあ!」と

青くせえ理想とプライドでイキってたんですが、

リアルタイムの感情のぶつけ合いの熱を思い出してしまいました。

 

次に、他でもない、「closed theater」の撮影の時。

映像は舞台とは表現の手段が異なりましたが、

誰かが芝居してる姿をリアルタイムに、同じ空間で

(ソーシャルディスタンスは確保しつつ)空気の振動で感じていたら、

もうだめでした。

 

 

私はやはり、共演者と、お客さまが同時にいる、

空気の流れる感触や振動で気持ちが伝わってくるあの空間が、

死ぬほど好きなんです。

 

 

私はこの騒動を「社会が、人類が変わっていくきっかけとなる出来事だ」と思いました。

いい方向に変わることもあると思います(リモートワークとか)。

でも、失われるものが圧倒的に多すぎる。

 

すでに閉館が決定した劇場とか、

声は聞こえないけど、春の公演中止で負債を負った方もいると思います。

暮らせないから、この大変楽しいものを手放さねばならない人がいる。

 

「感染症は、ともすれば100年単位で時間がかかる」なんて過去の歴史も目にして、

「ああ、人間と人間が触れ合うことのない、長い期間がやってくるかもしれない」なんて

若干他人事で、天上から目線でものを考えてもいましたが、

 

人類文明(主語がデカい)の変革にとっては些末なことでも、

その間に失われるひとりひとりの個人の想いは?

人類全体から見たら(主語がデカい)ちっぽけな事象でも、

親しんだ劇場が消えたら?自分が芝居ができなくなったら?

あの劇場がなくなるだけで、

大好きな役者さん・作家さん・スタッフさんが廃業するなんて想像しただけで

…「今」を生きる私や、仲間について考えたらダメでした。

 

ここからしばし、嘆きます。

 

なんで今なんだろう。

1年とかで収束しなかったらどうしよう。

この先数十年、数百年にわたって演劇のやり方を変えないといけないとして、

どうしてその変革の役目を私の世代が負うことになったのだろう。

あんまりじゃないか。

前と同じような楽しみ方を、この先もずっと享受していたかったよ。

 

たまたま公演の予定がなかったので、近々で打撃を負うことはありませんでしたが

じゃあ、いつからなら前みたいに公演ができる?

お芝居を観に行ける?

安全ってなんだ?お客様を百パーセント守り切るって?

この先も、今と同じ平穏を続けることができるのか?

 

わからないことだらけです。

口を開けば「芝居がしたい」しか言いません。

 

 

悔しいな。

自分が芝居できないことも、芝居できない人がいることも。

文化、なんて言ったら話が大きくなるけど、

自分が何かを創っていること、それがライブ感あるものだということ、

お客様のリアクションを横目で見ながら心の中でニヤニヤすること、

そのひとつひとつが好きなんです。

できないのがつらいです。悔しいです。

 

 

だから、やっぱりこう思うんです。

文化に対して、毛ほどの影響力も持たない個人だけど、

せめて自分と、手の届く範囲は生き延びる努力をしようと。

いや、努力って「届かなかったらごめんな!」ってニュアンスを含ませてしまうから、

できなかったら死ぬくらいのつもりで取り組もうと思います。

命を懸けろ。ライフワークだろ。

 

 

技術の進歩で、触れ合わなくてもそれなりに生きていけると思うけど、

肉の体を持ってる限り、人間は触れ合うことから逃れられないと思うんです。

(また主語がデカい)

だから、演劇は、リアルタイム・同じ空間で、空気を介して伝えるタイプの娯楽は、絶対必要だ。

観る人にとっても、やる人にとっても。

 

 

今は会えなくても、会わない手段を使って、

いつか会って前みたいにやれる日が来るまで、

手段を選ばず、知恵を絞って生き延びます。

 

そのための最初の手段が「萬ムービーフェス」だと思ってます。

界隈全部は「大丈夫」にできなくても、「一個」を大丈夫にできるお手伝いをして、

別々の場所で、別々な人が、別々な「一個」を大丈夫にすれば、

きっと全体が多分乗り切れると思うので。

 

 

だから私、今から全力で、この一か月、

「萬ムービーフェス」を盛り上げます。

本音を言えばうちが賞を取りたいですが、

盛り上がるんならイベント全体を死ぬほどアピールします。

 

演劇が好きな人は懐かしい劇場の香りを感じ取りながら、

「クラスター出して、演劇ってばけしからんね」って思う方は

死ぬ気で生き延びようとしてる…という事実は一旦忘れて、安全な場所で楽しんでいただいて。

 

 

生き延びます、絶対に。あらゆる手段を使って。

 

だから絶対に、また会いましょうね。

声で、身振りで、音で照明で、鼓膜と皮膚を震わしますから。

絶対に、また会いましょう。

 

所信表明でした。

うがい手洗い、栄養のあるご飯、たっぷりの睡眠で、どうか絶対、元気でいてくださいね。

 

 

ここまで読んだタフネスな方は、萬ムービーフェス

http://yorozu-s.sub.jp/movie-fes/

をチェックしてくれよな!!!!