優しさが、わかりません。 | 自分を好きだと叫びたい!〜日常をこよなく愛してみる・足もと日記〜

自分を好きだと叫びたい!〜日常をこよなく愛してみる・足もと日記〜

良い子を目指して生きてみたけど、やっばりできなかった私の話。

「ああそうだ、ただ愛されたかった」と、受け入れたら見えてきた『足もとの幸せ』を発見する日記。

やっと心から、笑えてます。

何のことはない。とっくにそのまんまの私が愛されていました。

ども、足もとエッセイスト てくてく たわです



唐突ですが、優しさって何ですかね?








母ちゃんは昔よく「お父さんは優しい」て言ってました。



その当時、父ちゃんは謎の腕麻痺病にかかっていて働いてませんでした。


いくら病院行っても、原因不明。


とうとう、神頼みと占い師さん頼りになっていた頃です。



原因は今もハッキリしませんが、占い師さんの見立てで引越しをしたら治りました。







んでね。



あの頃、父ちゃんは毎日家にいました。




起きても寝ても、常にいる。



もともと働きたくない人だから、病気を盾に傍若無人(。・"・。)




決定的に父ちゃんを嫌いになった時期です。



















好きになる方が無理だわ




ずーっとテレビ点けて、ずーっと西部劇を大音量。


毎日毎日、オヤツ取られる。


絵を描きゃ貶され、地下よりゃ「シッシッ」と払われる。



















それで好きになれとか、頭オカシイ






と、母ちゃんに訴えてました。





すると母ちゃんは言うのです。




「お父さんは優しい」て。


























大人不信、開幕












で、私は不満やストレスを絵にぶつけました。






優しさって何だ?!






と。










私「ねぇ、母ちゃんは何で、父ちゃんを優しいと思うの?」




母ちゃん「ん?

お母さんが帰り遅くても、何も言わないし…。
出かけるのも自由だし。口うるさくないもの」

























低学年の私は思いました。

そして、母ちゃんに失望した瞬間でした。





















優しさ=都合の良さ





単に需要と供給の話であると。


父ちゃんの言動は私には不都合で、母ちゃんには不都合がなかった。


そこに人間性は、関係ないのです。


言いかえれば、己の欲。








小学生のころの私は、妙に聡いところがありまして

こんな風に言葉にはできませんでしたが、大人という生き物を諦めました。


親に精神的庇護を求めるのも、危ういものだと感じました。


所詮は別の個体なのです。

良い子も同じだな…と思いました。

優しい子、良い子と言われるのは、内心不愉快でした。
人間の観たくない部分を観ているようで。







言葉にできない諦めと悲しみとやるせなさは、全部紙にぶつけました。



拙い絵です。




広告の裏に鉛筆で。



テストの裏に鉛筆で。




色は嫌いでした。




塗りたい色なんて、ありませんでしたから。















そんな絵を見て、周りは誉めました。



嬉しかったけど、もの悲しかった。



表面しか伝わらない。



だってそれは、誉めるような内容じゃない。
誉めるより、このストレスが伝わってほしい!と


「こうだったら良いのに」


「私はこうでありたい」


「今、こんな気持ち」




そういうものを描いたのに。



その頃からだったのか…基本的に人に深入りせず、させもせずな人間になりました。





お互いにわからないところは、当たり前にあるし。


お互いに気に入らないところも、当たり前にあるものです。



万人に好かれるのも不可能、万人を好くのも不可能。



だったら、合致する部分で付き合っていけば良い。



…今思うと、なんちゅう小学生や








そんな風に発想する子どもだったので、いつ何時でも浮いていたようです
















今でも、わからないことがあります。



ある時、高校の体育の授業です。

マットの授業中、とある女子生徒が泣き出しました。


…マットの上で。



女子たちがワラワラと集まって行きます。



なぜ泣いているのかは、知る由もありませんが。

どう考えても、そこでは安心して泣けないだろう…?と思いました。



私の頭の中は、こう↓です。



女子生徒→泣きたいらしい(こんな人前で泣いてしまう位だから、よほど堪えられなかったんだろう)


状況→授業中、マット必要、多くの生徒が授業ストップしている


先生→あれ?いない。




チッ




チッ




チッ






…チーンっ




結論→邪魔にならないところで、ゆっくり気のすむまで泣いたら良いんじゃない?幸い、先生いないし。




そこで私は、その子に「アッチなら、ゆっくり泣けるよ?」と伝えました。




そしたらですね。



















ええっ?!


信じられない!



冷たいっ!今泣いてるのに!







と、女子生徒から非難轟々









心配しないと優しくないって風潮…



















乗るくらいなら、冷たくて良いっす





と思い、私は女子嫌いになりました




「泣いてるから言ってんですけど…」


「いやだって、無闇にかまうのって時として傷えぐるでしょうよ?」


「言葉かけりゃ良いってもんでもなかろ?」


「なんですか、違うポーズとると非難ですか?」


「わかる〜って、本当にわかってんのかよ?」


「構うことを優しさだと定義してませんか?」


「ちょっと違うことすると、すぐコレだ…」




私の中で、言葉が飛び交いました。





「とりあえずの同調、とりあえずの同情、手をかけ暇をかけすることを優しさと宣うか…

そんなモンが優しさなら、私は要らない。」


「それは自己満足だから。心配してあげる自分に酔ってますか?」


「私の行動も、私の満足のためだ。」


「一体何が、君らと違うのか?」


「非難される謂れは何なのか?」





と、思春期真っ只中の私は思っていました。絶賛歪み中


あ。口にはしません。


集団の女子は、厄介だからです←性格悪いw



「ああそうですか〜」と、やり過ごすのが一番楽でした。






ところで、今でもわかりません。


なんで批難されたんでしょうかね?















そして今でも。

「優しいね」と自分で使うとき、私は少々戸惑います。



誤魔化してないかな?て。



他に単語が見つからないだけなのか、その場をやり過ごしたいだけなのか。



私はちゃんと、その人を見ているんだろうか?と。


自分に戸惑います。


簡単なんですもん、優しいねって言葉。



かわいいー!と同じくらい、多様性がありますよね





私が使うときは、削ぎ落として鑑みて、この単語しか当てはまらないってときです。



他の表現ができるなら、そちらを使いたい。






あーあ、こんな歪んでるだろう事まで書いちゃって。
後戻りできねーな














そしてね。







思うんですよ。
















人間が優しさを発揮するときは、



理性を意識しないときではないか









とね。









例えば、猫は飼い主が喧嘩してるとサリゲナク悪いことしたりします。




それで自分に注意を引く。




喧嘩は有耶無耶になる。








こういう事なんじゃないですかね?
もちろん、パターンは色々あるわけですが。







さり気なくて、良いんじゃないですかね?




わかりやすい、優しいっぽい行動にアレルギーがあります。











私自身、「優しい」と言われるのは、実は好みません(*´w`*)




昔は嬉しかったんですよ。
むしろ言われたかった。



それが今は、冷めてしまうんです。
今の私は、自分に不都合ない行動しかしてません。


相手のためを思って動いてないからです。


たまたま、需要と供給が一致したに過ぎない。




だから「優しい」と言われると「それは誤解なんです」と言いたくなります。ときに言います





きっと父ちゃんの思い出が、優しいって言葉に紐付けられているからでしょう。






優しさを持たない人間は、あまりいないと思います。






映画を見て、感動的だと涙する人は優しいでしょう。


困ってる人を見て、つい手を差し伸べる人も優しいでしょう。


人と考え方や思いが違うからといって、自分の意見を押し付けない人も、優しいでしょう。


ほかにも色々ありますが…








めっちゃ個人的な意見を述べますと。
















「優しいね」て言われるより「ありがとう」の方が、


なんかイイ←ザックリだな







優しいって言葉は、常識と同じくらい危ういものに思えるんですよ。



状況、捉え方、気分、人格、立場、時代…あらゆる要素に左右されて酷く不確か。



ありがとうは、シンプルに『その人の心』に思えます。お礼ですからね。形容詞じゃないし。









あ、そうそう。




父ちゃんストレスと母ちゃん失望を抱えていたころ、私は家の絵を描いていたんです。



家。


こんな家に身を置きたい。







そのころの妄想を再現してみました。

…今は、色使いましたが























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これはね。



森の奥深くなんです。



動物や小人、目に見えない住人などが居ます。




木の中の家。


二階建てです。


この家で、夜が育ちます。


日が落ちると、木は大きく広がり夜空を作るんです。




私はそれを見届けてから、眠りに就きます。



いつでも窓を開け放して。



だって、なんの不安もありませんから。



















そういう絵を描いていたんです。









…あなたにとって、優しいって何ですか?











P.S.  


十数年後、母ちゃんは私に「あんたが、父ちゃんは優しくない!て言ってた意味が、わかったわ」と言いました。




しかし、父ちゃんは優しさを持っていないか?というと、そうでもありません。

私とは違う見地で、父ちゃんは父ちゃんなりの情を見せます。

それで良いんだと思います。

理解はできないんだけどね