福井市で女子中学生が殺害された事件で、名古屋高等裁判所金沢支部は服役を終えた男性が求めた再審、裁判のやり直しを30日、認める決定を出しました。
オウムの松本サリン事件をはじめ、多くの冤罪を生む要因は何なのだろうか?
表面に出てこない冤罪事件はもっとあるのだろうと思う。
こういった冤罪で被害を被る人たちが後を絶たないのは何故だろうか?
まずは強引な警察・検察の捜査のあり方に一番の問題があると思う。
警察がなかなか犯人を特定できる証拠を得られない時に、自分たちのメンツを守るためにあらかじめ絞っておいた被疑者を状況証拠のみで強引に犯人に仕立て上げるという国家権力をフルに生かし力でねじ伏せるというやり方だ。
これは学生運動が盛んなころから盛んに用いられた卑劣極まりない国家権力の威を借りたまるで暴力団そのものの手法だ。
こんなやり方をしていて暴力団排除条例とか、よく言うよという感じだ。
さらにマスコミの報道が冤罪に輪をかける。
警察の発表をうのみにしてそのまま伝えるという、全く警察の手先としか思えないような警察に従順な報道をする。
普段は報道の自由とかいって芸能人を追いかけることには容赦ないのに、こういうときだけは警察の発表に疑問を抱かず情報を垂れ流すのは無責任極まりない。
例えば松本サリン事件ではあれほどだいい低発見者の河野さんを攻撃したにもかかわらず、その後疑いが晴れた後もその責任をきちんと償ったマスコミは皆無だ。
いかにマスコミ報道が危ういものかそれを情報として見聞きする我々も十分に考慮しなければならない。
決して情報に操作されず被疑者を客観的に観ることが大切だ。
間違っても無責任に被疑者を攻撃したり陰口をたたくことは慎むべきだ。
そして最も重い責任を負うべきは裁判所であり、裁判官である。
最終的に判断し判決を言い渡すのは裁判官である。
その判決によってひと一人の人生が決まってしまうのだ。
当然それなりの責任を負うべきだ。
この点がとても甘いと思う。
間違った判決を下しても何のおとがめもない。
こんなことは裁判官という職業のみの特権だ。
裁判官も間違った判決を下したらその責任をとって辞めるなり、その判決を下した量刑の重さに乗じて自分たちも刑に服すぐらいの覚悟が必要だ。
判決を下すということはそのくらい重大な責任を負わなければならない重みがあるということだ。
むろん全ての警察官・裁判官に問題があるという訳ではなく、むしろ健全な警察官・裁判官が多いとは思うが一部の不届きものによって印象を悪くしているのは否めない。
今後新たな冤罪を生まないためには裁判員裁判も始まった今、まずは我々一般人が情報に惑わされないことが大切だと思う。
マスコミは信用できないんだということを頭におきながら一人一人が冷静に情報を受け止める必要があると思う。
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