息子といじめについて語る③まずはわたしのことから | 豆助と息子とおかんの成長日記。時々だんな。

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豆柴さんを育て、息子を育て、そしてわたしも育ってく。わたしたちが、大きく立派に成長しますように。

それにしても墨汁って取れないんですよね〜

水飲み場で、帰りにゴシゴシ頑張ったけど、全然だめでしたえーんガーン

白かった体操服、前も後ろも全てやられましたもやもや

はじめは筆を振りかざして
背中にぬちゃっ

「え?」

何が何だか読み込めていないわたしキョロキョロ??

そこへ再びべとべとべとべと・・・

振り返るとその子は笑っていました

ようやく状況を読めたわたし。
でもその時、わたしは何も言えなかったんです。

怖かったのか、なんだったのかよく覚えていないんですが、ただ、キッ!真顔と、強く睨んだのは覚えています。

その顔にムカついたのか、その子は墨汁に筆を浸し、今度は前を、笑いながら塗りたくり始めました。

その手をはらってしまえばよかったのに、なぜわたしはできなかったのでしょう。覚えていません。

ただただ、その子が満足するまで耐えていようと、唇をぎゅーっと噛みしめ我慢していましたアセアセアセアセ

ようやくその子がその場を離れた時には、もう真っ黒クロスケもやもやもやもやもやもやタラー

たまりませんでした。

横目で同級生が、その光景を見ながら避けて通って行く。



天涯孤独



本当にそう思いました。

次に浮かんだのは父と母の怖い顔でした。
これを持って帰ったら、2人はどんな顔して怒るのだろう・・・
どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう・・




当時、父も母もとても忙しく、本当に慌ただしい日々を送っていました。
自営業の父。
そして母は、わたしの下にいる3人の子供たちの世話とその父の仕事を手伝う毎日。


ただでさえお姉ちゃんなんだから、もっとしっかりしなさい!!と叱られているのに。

この体操服をどうにかしないと、またお母さんに怒られる!!


パニックになったわたしは、気づけば、その小学校の近くに住む祖父のところに転がり込んでいました。

じいちゃんなら、どうにかしてくれるかもしれない。
じいちゃんなら、わたしの味方をしてくれるかもしれない。
じいちゃん、助けて。じいちゃん、お願い!!!



祖父がゆっくり、家の奥から出てきました。
「お〜 来たんか。」
にこりと笑ってくれた祖父。

胸の痛みを感じながら、わたしは無言で、ぐちゃぐちゃの体操服を差し出しました。



「お前、そりゃなんや。どうしたんじゃそれ。」


その問いかけに、ぐっと堪えていたものが一気に崩れ、そこからしばらく、わたしはただただ泣き続け、祖父はただただ、黙ってわたしの背中をさすり続けたのでした。






次回は「 じいちゃんが取った行動」

長文を読んでくれてありがとうございました照れ






余談 ・・・うちの祖父は大正生まれ 戦争経験者でした。満州で、当時のソ連の捕虜になり、戦争が終結してから3年後に解放された1人です。亡くなる直前まで、正義感の強い、短気で喧嘩っぱやい、それなのに優しく、誰からも好かれ、誰からも愛される存在でした。孫のわたしのことを至極愛してくれて、本当に大好きな祖父でした。