未来の子供たちのために、一日一回クリックお願いします。
みなさま、こんにちは
私が世界最高の思想家であり、史上最強の哲学者である、風流師匠です。
世界一の経済学者と言われたドラッカーは、コミニュケーションについてこう述べました。
コミニュケーションは、受け手に何かを要求する。
受け手が何かになること、何かすること、何かを信じることを要求する。
何かをしたいという受け手の気持ちに訴える。
コミニュケーションとは、受け手の価値観、欲求、目的に合致するとき強力となる。
合致しないとき、まったく受けつけられないか、抵抗される。
私が、このブログを書くことには、明確な目的があります。
その目的とは、私はこのブログを通じて、目先の金や人の意見に左右されず、自分を信じて生きていける強い心の人間の考え方を示すことで、心の強い人間の意識で物事を論じ合えるコミニュティーをつくることです。
このコミニュティーの目的とは、
一、心の強い人間の考え方を知ることで、心の強い子供を育てられる大人が増える場をつくること。
二、目先の欲よりも正しいことを意識する人たちの交流の場から、目先の金や結果よりも、正しいことを重視する社会活動、社会組織が誕生する場をつくること。
では、このようなコミニュティーを築くためには、私と相手との価値観、欲求、目的が合致しなければなりません。
しかし、私と相手との価値観、欲求、目的が合致しないときは、相手に私の考えがまったく受けつけられず、相手は私の考えに批難をしてきます。
私の価値観(思想、哲学)、
思想とは何でしょうか?
思想を辞書で調べると、「 哲学で、考えることによって得られた、体系的にまとまっている意識の内容をいう。」と、あります。
では、哲学とは何でしょうか?
哲学を辞書で調べると、「 世界・人生などの根本原理を追求する学問。」と、あります。
私の価値観(世界観、人生観)とは、
一、私は、自分の心の中にある正義を貫く生き方をするために、自分が築き上げた生活の安定を捨てました。
私の価値観とは、目先の金を求めたり恋愛を楽しむことよりも、自分の心の中にある正義を重視して生きた日々の経験から学んだ人生観です。
二、自分の周りの人や環境、さらには、ネットを通じて見ず知らずの人たちに、私の考えを主張すると、反発されたり、中傷されたりします。しかし、この経験から多くのことを学ぶことが出るのです。
私の世界観とは、正しいことをしようとした人間が、人から批判、中傷されない世界をつくるための考えです。
しかし、私の取り組みを理解することが出来ず私のことを批判する人間は、私が自分の欲を満たすことよりも、正しいことを意識した日々の経験など、どうでもいいことだ言って、私の言葉が薄っぺらいと言います。
私の欲求
私は、私とコミニュケーションをするときだけは、相手に正しい意識で物事を考え、発言することを求めているだけです。
正しい意識で物事を考えれば、今までと違った物の見方になるはずです。
そのときに、あなたは何を感じ、何を考えたのかを、その部分で論じ合えるコミニュティーをつくろうとしているのです。
私が「 100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくり 」と言うと、「 理想を追うな 」とか、「 そんなことを考えるなら議員になれ 」と言う人がいます。
また、私が「 100年後の未来の子供たちが夢や希望が持てる社会つくり 」と言うと、「 その考えは良いことだが、それを実現するために、風流師匠は今、何をしているのか 」と聞く人がいます。
さらには、私が「 正しいことをするために自分の生活の安定を捨てた 」と言うと、「そんなことは、どうでもいい。その中のどのような苦悩などをどのように経てきてその考えに至ったのかを聞かせろ 」と、言う人がいます。
ここで言いたいのは、正しいことを論じ合うコミニュティーをつくるためには、私のことなど、どうでも良いのです。
あなた方が、正しいことを意識して物事を考えたときに何を感じるのかを、私は聞いているのです。
ドラッカーの言うように、私の欲求と、相手の欲求が噛み合わなければ、コミニュケーションは成立しません。
私の目的
私は、正しいことを正しく論じ合える場をつくることで、目先の金や結果よりも正しいことを重視する社会活動や社会組織が発生する場をつくりたいのです。
そのためには、正しいことに取り組む人間の考えや言葉に対し、批判や批難をする人間がもっとも愚かな人間なんだと言うことが認識される環境をつくらなければいけないと考えます。
なぜならば、目先の金や結果よりも正しいことを重視した取り組みをすることは、とても大変なことで一人では成功させることは出来ないし、協力者がいたとしても実現することは難しいことです。
そのため、実現する可能性が低いことを説明するよりも、実現する可能性の低いことを批判する方が、とても簡単なことなのです。
しかし、実現する可能性が低いことに努力をする人間に、イチャモンをつけてくる人間が多ければ、その取り組みに興味を持つ人間がいたとしても、その取り組みに参加することは出来ません。
誰もが自由に参加が出来る場をつくると言うことは、その取り組みが正しく良いことだと認識されなければならないのです。
それは、正しいことに取り組もうとする人間の考えが理解出来ない人間は、愚かな人間だと言うことを証明することです。
正しいことを理解するには、二つの方法しかありません。
一、自分の築き上げたモノをすべて捨て、目先の金を求めたり恋愛を楽しむことよりも、正しいことを意識した日々の生活から多くのことを学ぶこと。
しかし、この本質を理解出来ない人間に私がいくら説明をしても、私の言葉が相手の心に届くことはありません。
私の目的を理解できず、私が努力をする場で己の主張ばかりする人間は、私には愚かとしか見えません。
二、自分の愚かさを自覚すること
私は、正しいことが正しく出来ない社会環境から、正しいことを論じ合える場をつくるために日々考え努力をしています。
その経験から学んだことが、自分の価値観(思想、哲学)になっています。
しかし、このような価値観を持つ人間に対し、正しいことが出来ない社会に心を妥協して生きた人間が、その日々の生活の中から学んだ価値観(思想、哲学)を、私に話してきます。
ドラッカーは、コミニュケーションとは、価値観、欲求、目的が合致したときに強力となると言っているのです。
私は、強力な組織をつくるために、私と同じ価値観で物事を論じ合える場を作りたいのです。
この私の考えを理解できず、心の弱い生き方から導き出した価値観を言ってくる人間は、私からすると愚かとしか言いようがありません。