検証、織田信長(躾けと精神) | 自己超越から自己認識への導きサロン

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検証、織田信長シリ-ズ、本日は、織田信長の育ての親、平手政秀の人間性を知ることで、子供の精神は、子供を育てる人の人間性が大きく影響されることを解き明かします。


歴史家の中には、信長の性格を判り難いと言う人がいます。


しかし、私がら見れば、信長ほどわかりやすい歴史上の人物はいないと思います。


では、信長劇場のはじまりです。




Ⅰ、育ての親


信長を育てたのは、信長の父、織田信秀の重臣、平手政秀です。


この平手政秀と言う武将は、真面目で人一倍責任が強い武将です。


戦国の世の中で、和歌や茶道を趣味とする風流な一面を持つ武将です。


この一風変わった武将に育てられたこそ信長は、神をも恐れぬ強い信念を持つ武将へと成長したのです。




Ⅱ、躾け


平手政秀は、織田家の中で主に外交交渉を任されていました。


それは、主君、信秀の名代として、朝廷や公家たちと接見したり、織田家が不利な状況の中で、敵国との和平交渉をまとめ上げたりと、その手腕は大したものです。



そんな平手政秀が、織田家の嫡男として、信長に何を教えたか?


政秀は、織田家の当主として、吉法師(信長の幼名)を、どこに出しても恥ずかしくないように、まずは武家の所作を教えることに取り組みます。




一、躾と精神


武家の所作とは何でしょうか?


それは、美しい立ち振る舞いであり、品のある受け答えです。



武士とは、言ってみれば殺しのプロ集団です。


同じ人殺しでも、野党のような人殺しと、大義を持って人を殺す武士の大きな違いが、この洗練された所作が出来るか、出来ないかです。


武家の所作を完璧にこなす武将ほど一目を置かれます。




二、躾の本質


子供とは、集中力がなく、ところかまわず叫びだす、身勝手な生き物です。


この身勝手な生き物に、礼儀作法を教えることで、人前では騒がず、行儀の良い子供を育てることを、「 躾 」と言います。


人前で大人しく出来る子供は、大人しくしている間は、大人や周りの環境を観察し、純粋な心で物事を思考します。


この幼少の頃から、周りの状況を観察する癖と、物事を思考する癖が、自己を見つめ、自己を改善する能力となり、周りの環境や周りの人間に左右されることのない、まっすぐな精神を養います。




三、躾と教育


子供にまっすぐな精神を宿すには、子供の心が自由になる環境を提供しなければなりません。


親が、まだ幼い子供に、強制的に何かを教えることをしたら。子供の心はたちまち自由な発想が出来なくなります。


みなさまお考え下さい。


現代社会の親たちは、わが子が幸せな人生になるように、一流の大学に入れ、安定した高収入の仕事に就かせようと考え、子供に教育をします。


親からそんな教育を受けた大人たちは、金に価値を求め、自分の社会的地位や財産に執着をした薄っぺらい人間が現代社会のエリ-トです。


太平の世では、薄っぺらい人間でも、自分の社会的地位を自慢して生きていけますが、戦国の世では薄っぺらい人間ほど、真っ先に滅ぶ人種です。



信長の教育係が、柴田勝家のような武芸に長けた武将であったなら、信長を戦に負けない武将にするために、兵法や武芸を中心に教育します。


するとその教育を受けた人間は、武芸や兵法を軸に物事を考えるようになり、桶狭間の戦いで今川義元を打ち破ったような、誰もが創造することの出来ない、独創的な発想が出来ない人間になります。


平手政秀が、信長を、織田家の嫡男として、何所に出しても恥ずかしくない武将にするために、武家の所作(美しい立ち振る舞い、品のある受け答え)を徹底的に教育したことが、結果的に信長に独創的な発想力を生む、精神性を養うことになったのです。


美しい立ち振る舞い、品のある受け答えとは、己の欲や己の感情に惑わされず、物事を考える思考力、行動力であり、これこそが、すべてに適応される精神の土台です。




四、舅、斉藤道三と信長


平手政秀が、信長に武家の所作を重点に置いて育てたことを証明するのが、斉藤道三と織田信長の正徳寺の会見です。


信長は、正室濃姫の父親である、斉藤道三と正徳寺で、はじめて会見することになりました。


当時の信長は、尾張の大うつけと近隣諸国にまで噂はとどろいていました。


道三は、信長と会見する前に、近隣の民家に隠れて信長を観察することにしました。


信長は、鉄砲隊500人、長槍500人を引き連れながらも、自身の髪は茶筅まげ、荒縄の帯を巻き、腰から瓢箪を多く下げ、革の半袴。


そのトンでもない格好を見た道三は、信長を馬鹿にして平服のまま会見に臨みました。


しかし、そこに入室した信長は、正装された姿でした。


武家の所作を完璧にこなす信長を見て、武家の所作が一朝一夕で身につくものではないことを知る道三は、信長の奥の深さを知るのです。




Ⅲ、精神と心


信長は、平手政秀によって武家の所作を習い、政秀との遊びを通して、物事の本質を感覚でわかるようになります。


政秀は、戦国の世にあって、和歌や茶道を好む、文化人です。



日本の文化は、自律した精神文化


信長は、政秀の趣味に付き合うことで、純粋な子供の心が、自律した精神性の価値観に触れ、物事の本質を感覚的に学んだのです。




一、環境の大切さ


物事の本質を感覚的に知る少年信長は、武士は農民に支えられて生活が出来ているのに、農民よりも武士の方が優れていると勘違いしている家臣や、織田家の嫡男である信長にオベッカを使う家臣に嫌気がさしました。


少年信長は、城下に出て、毎日を一生懸命生きる庶民と話、同年代の若者や子供たちと遊ぶことで、身分など関係なく本気でぶつかってくる人間の価値を学んでいったのです。


信長は、織田家の当主として、家臣が求める生き方をするのではなく、人間として人間らしい生き方が出来る環境から、武家の社会では学ぶことの出来ないことを学んでいったのです。




二、信念


精神の発達する人間の行動は、すべてに意味があり、先を見据えた行動です。


人として人間らしい生き方をする信長に対し、自分たちの生活を守ろうとする家臣達は、信長の当主としての器量に不安を持ち、信長をうつけ者と噂するようになりました。




信長は若い頃、家臣の前田利家らと、派手な格好をしてかぶいていました。


これは、農民よりも武士の方が優秀だと勘違いしている家臣たちの方が、人間としてうつけ者だと考える信長が、派手で奇抜な格好をすることで、武士は優秀だと勘違いする家臣たちの愚かさを表現したのです。


信長からしてみれば、かぶいた格好をすることで、家臣たちの愚かさを表現しているのに、それを信長はうつけ者と噂する人間は、自分のことをうつけだと言ってるのと同じことだと思っていたでしょう。



信長が少年の頃の尾張は、主筋が清洲織田家で、信長の父信秀は、表面的には清洲織田家の家臣でした。


尾張を統一しようと考えていた少年信長は、武士がどのくらいの実力なのかを知るために、前田利家ら数騎を連れ、清洲城下に火を放ちました。


信長はこの事件を切っ掛けに、自分の身分にあぐらをかく人間は、隙だらけだと確信をしたのです。


尾張を統一した後は、天下を統一することを考えていた少年信長は、自分が尾張の大うつけと噂が広まれば、広まるほど、他の大名たちは尾張の信長は大したことがないと考え、そこに隙が出来ると確信を持ちます。


信長は、うつけを演じるようになるのです。


そえれが、桶狭間の戦いにつながります。





三、桶狭間の戦い


今川義元が上洛のために、大軍を率いて尾張に攻め込んできました。


その時、織田家の重臣たちは、慌てふためき、喧々諤々の答えの出ない論議をはじめます。


それを見た信長は、馬鹿な重臣たちに嫌気が差し、その場から立ち去り、妻の濃姫と能を舞い始めました。


それを見た重臣たちは、織田家は終わったと思ったでしょう。


しかし、精神が発達している人間は、常に最悪の事態を想定して事を運ぶのです。



当時の状況を考えれば、今川が織田家に攻め入るのは時間の問題です。


この現実問題を直視すれば、好戦か和平か対応を急がなければなりません。


そこで信長は、今川家に間者を送り、今川家の内情、国の内情、今川義元の噂などの情報収集をします。


今川義元が公家に憧れ、公家のような生活をし、信長を問題視していないことを知ることで、今川義元に必ず隙が出来ることを確信します。


好戦に向け、今川軍が通ると予測されるル-トの詳細をすべて調べ上げ、戦のシュミレ-ションを考えます。


その結果が、桶狭間の戦いであり、濃姫と能を舞う余裕になります。


それを、今まで今川軍に対しての策を考えない重臣たちが、今川軍が攻め込んだ途端、慌てふためく重臣たちを見て、信長は重臣たちが下等に見えます。





Ⅳ、政秀の諌死


まっすぐな精神性で成長をした信長でしたが、その育ての親、平手政秀は、信長の奇行を諌めるため自害したと言われています。


1551年、信長の父・信秀が突然に没したとき、その葬儀に信長は、腰に荒縄の帯、長束の太刀と脇差、茶筌まきの髪という葬儀には似合わない姿で現れ、焼香の場で抹香を信秀の位牌に投けつけました。


信長の行動に対し、信長の教育係であった平手政秀は、織田家の重臣たちから攻められ、その責任と、信長を諌める意味を込めて、切腹したとされます。


しかし、これは違います。




一、私の見解


織田家の家臣の中には、信長を織田家の世継ぎにすることを反対する派閥がありました。


信長の奇行を、教育係の平手政秀に苦言する家臣も多くいました。


そのため政秀は度々、信長を諌めていました。


しかし、政秀は、他の家臣が言う、信長の奇行を諌めていたのではありません。


政秀は、織田家の嫡男の信長自らがが、身分など関係なく庶民と接することは、悪くはないと思っていたからです。


政秀が信長を諌めていたことは、織田家の当主として、家臣が不安になるようなことは、出来るだけやめてくれと信長に言い聞かせていたのです。


しかし信長は、尾張を統一した後のlことまで考えた行動が、うつけを演じることだっため、政秀の言うことをあしらっていました。


信長のもっとも身近にいた政秀は、信長が父信秀を敬愛したいのを、よく知っていました。


そのため信秀の葬儀のときの信長の奇行は、何か特別な理由があったに違いないと、信長を信じることが出来たのです。


ゆえに、信長の奇行に責任を取って、政秀が自害することはありえないのです。




二、政秀自害の、もう一つの説


ある日、政秀の長男の平手五郎右衛門が所有する駿馬を、信長が所望した時に、五郎右衛門は、これを譲らなかったため、五郎右衛門と信長の主従間で不和が起きました。


政秀は信長と五郎右衛門の板ばさみとなり、両者の確執を取り除こうとしますが上手くいかず、尾張春日井の領地に引きこもり遂には切腹してしまいます。


世に言う「平手政秀の諫死」と言うものです



私も、この事件が政秀が自害する引き金だと思いますが、その見解は独自のものがあります。





三、私の見解


信長が五郎右衛門の馬を所望したときに、、五郎右衛門は「戦場で殿の役に立つよう馬を育てているので愛馬は手放せない」と断りました。


信長は、五郎右衛門の態度に何も言えなくなり、自分の思い通りにならない五郎右衛門を嫌うようになりました。


信長が政秀に教育されて精神性を養ったように、五郎右衛門は政秀の子、まっすぐな精神が育つ家庭環境で育ちました。


五郎右衛門は父政秀から、何があっても殿を守り、殿の役に立つことを使命に育てられました。


五郎右衛門にとって愛馬は、信長を守るために精魂込めて育て上げた、自分の使命をまっとうするための大事な道具です。


例え、主君に嫌われようと、主君のために命を捧げるためには、この愛馬が必要なのです。


五郎右衛門は、信長に喜んでもらうために信長に仕えているのではなく、信長のために命を捧げるために信長に仕えているため、信長に嫌われても、絶対に自分の信念を曲げることは出来ません。


信長は、この五郎右衛門の理をわかっていながら、自分のわがままを押し通そうとするため、五郎右衛門を疎んじるようになります。


政秀は、何とか二人の中を修復しようとしますが、政秀が教えた正義を貫く息子が折れるはずがありません。


信長に主君らしい態度を求めますが、自分が悪いと自覚する信長は、政秀の小言を聞くのが嫌なため、「爺は黙ってろ!」と、命令をします。


政秀は、これを切っ掛けに自害します。




四、政秀の自害の真相


政秀は、信長を諌めるために自害したといわれますが、そんなことはありません。


政秀は、もともとの主君である、信長の父、信秀に対しての償いの意味で、切腹をしたのです。




信長の教育係に政秀を選んだのは、織田信秀です。


わが子を、戦国の世で、武力に長けた武将にしたいのであれば、武芸に長けた教育係を選出します。


しかし、織田信秀は、武人というよりも文化人の武将、平手政秀に信長を任せたのです。


それは、信秀が信長を、戦に強い一流の武将にするよりも、まずは人間として一流な人物にさせ、戦国の世にでも常に領民のことを考えた政(まつりごと)が出来る大名にしたかったからです。



それが、今の信長の態度は、自分の利(欲望)を満たすために、家臣が理(正しいこと)をしようとしているのに、それを評価しようとしません。(まるで現代の社会組織のような)


このような当主では、領民のための政(まつりごと)など出来ません。


平手政秀は、戦国の世でも、常に弱い立場の領民を意識した人間になるように、信長に接し、教育をしたつもりでしたが、信長はそのような人間には育ってなかったのです。


これは、政秀のもともとの主君である、織田信秀の期待を裏切ったことになるため、自らの命を絶つことで、あの世にいる主君信秀に詫びを入れようとしたのです。





Ⅴ、解釈の違いは、精神性(生き方)の違



一、妥協して生きていては、わからない真実


信長は、平手政秀が自害したことを聞くと、それに驚き、自分の愚かさを恥ました。


信長は、政秀を弔うため、政秀寺を建て、信長が死ぬまで線香を絶やすことはしませんでした。


信長が天下布武を掲げ、天下取りに乗り出した後も、鷹狩り行った時などにふと政秀を思い出し、獲物の鳥を引き裂いては「政秀、これを食え」と叫んで空に投げたり、ふと柿をもいでは「政秀これを食え」と言ったりしましたが、このとき信長の目には涙が浮かんでいたそうです。


多くの歴史家は、政秀の自害は、信長に行動を改めさせるための「 諫死 」だといいます。


しかし、信長は、政秀のために寺を建て、政秀が死んだ後でも、政秀を慕い敬っていましたが、信長の破天荒な言動は、一向に改善されませんでした。


当たり前です。


政秀の死は、信長に対しての「 諫死 」ではないからです。


政秀は、信長が正しいと思って貫いたことに対しては、他の家臣がどれだけ罵っても、政秀自身はそれを見守りました。しかし、信長自身が悪いと分かっていて我を通した行動に対しては、他の家臣が主君のわがままは仕方がないと納得しても、政秀だけはそれを許さなかったのです。


信長は、自分が人として愚かな行動をした結果が、自分にとってもっとも大事なモノを失うことになることを知り、自分の利を優先させた行動が、律儀で実直な真面目な家臣を苦しめ、領民のことを無視した大名になることを自覚するのです。


現代社会のように、平和な社会では、自分の心を甘やかし、自分の心に妥協をする、人として愚かな生き方をしても、何とか生きていけるため、自分の悪い箇所を改善出来ないどころか、自分の悪い箇所を自覚しようとしない人間が増えるのです。




Ⅵ、菊と刀


菊と刀とは、ルース・ベネディクトと言う、アメリカの人類学者が1946年に出版した、日本文化を説明した文化人類学の本です。


その中で、日本人の価値体系と西洋人の価値体系の違いを定義し、説明をしています。


日本の文化は、外的な批判を意識する恥の文化と定義


欧米の文化は、内的な良心を意識する罪の文化と定義




一、本質を知らないのに、否定をする人


私は、この考えに対しては異論はないのですが、この定義に懐疑的な意見を持つ人が沢山います。


この本自体は、第二次大戦後にかかれた本であり、普段は礼儀正しい日本人が、なぜあのような狂った戦争を始め、日本兵はなぜあのような狂った戦い方をしたのか、日本文化を知ることで説明しようとしたのです。


そのため、倫理的には日本人よりも西洋人の方が優れていると書かれた本の内容に批判的な人間は、日本の文化は、外的な批判を意識する恥の文化と決め付けるなとこの本を批判します。


物事の大局を観ることで、それを定義して、論理を展開するのは普通のことなのに、物事の大局を観ることが出来ない人間ほど、少数意見を持ち出し、定義したモノを否定します。


では、その否定する人間たちが、日本文化を定義できるのかと言えば、まったく出来ません。


しかし、精神世界を知る私であれば、日本文化をキチンと説明出来ます。




二、正しい日本文化


ルース・ベネディクトが定義したことは、正しいことです。


日本の文化は、外的な批判を意識する恥の文化と定義


欧米の文化は、内的な良心を意識する罪の文化と定義



そして、ルース・ベネディクトが言うように、外的な批判を意識する民族よりも、内的な良心を意識する民族の方が、倫理的には優れているのです。


ただ、日本の文化は、自律した精神文化


真の自律した精神を持つ人間は、自己の内的な良心に従い行動をするのです。


それは、


自分の良心に妥協してまで生きることは出来ない意識


自分の良心を妥協して、自分の利を求めるような、恥な生き方は自分には出来ないと思う、恥の意識。



日本の恥の文化は、自己の内的な良心に対して恥を感じる自律した精神文化であり、そのような人間の生き方が尊いと思う人々の道徳観が、周りの眼を意識する外的な恥の文化に成長したのです。




三、神々の国、ジャポン


江戸時代の末期には、沢山の外国の官僚や軍人や文化人が、日本に来るようになりました。


倫理観の強い外国のエリ-トほど、日本の庶民たちの倫理観の高さに驚愕し、日本のことを神々の国と言う様になりました。


なぜか?


普通人間は、人として何が正しくて、何が正しくないのか、自分で自信を持って判断することは出来ません。


だから欧米人は神=キリストを信じ、キリストの教えを基に、何が正しくて、何が正しくないのかを判断するのです。


自分の利を優先させるために、人として正しくないこととわかっていて、その行為をすることは、神を裏切る罪な行為となります。


これが、罪の文化です。


しかし、自律した精神を持つ日本人は、自分の心の中に正義を持ち、自分自身の力で、善悪の判断が出来るのです。


神を信じる欧米人にとって、自分の能力で善悪を判断出来る人間が、神です。



私は、自分の正義を貫くために、自分の生活を犠牲にして生きています。


だから、自律した精神文化や、自律した精神を持つ人間の行動が分析出来るだけです。


自律した精神を持たない人間では、いくら学歴が高くても、知識を豊富にしても、日本の自律した精神文化を、正しく解釈することなど不可能です。


人は自分が経験したことでしか、それを解釈することは出来ません。