生活苦と人生苦(3)
ゾーエーの充足と同様に、生活苦の克服が最優先される。ゾーエーの充足なくしてビオスの充実はあり得ない。問題は「生活苦の克服がビオスの充実になるか」にある。この点、ゾーエーとビオスの区別は依然として説得力を欠いているだろう。「ゾーエーは肉体の糧によって充足し、ビオスは魂の糧によって充実する」と言っても、私は決してその関係を二元論的に理解していない。ゾーエーもビオスも「生の次元」であることに変わりはないが、二つの次元は質的に異なっている。便宜的に、ゾーエーを水平の次元、ビオスを垂直の次元、とそれぞれ表現しているが、両者の関係は「不可分・不可同・不可逆」だ。従って、生活苦の克服は多分にゾーエーの充足に関わっているものの、それに尽きるものではない。「人はパンのみにて生くるにあらず」と言われるが、生活はパン(肉体の糧)では満たされず、生活苦は「パン以上の問題」でもある。実際、福祉が充実して幸福度が高い北欧の国々は自殺率も高いと言われている。勿論、「生活苦が克服された幸福な生活ではビオスは充実しない」と一概には言えないが、食うに困らぬ安定した生活に絶望の影が忍び寄ってくるのは事実ではないか。この事実、すなわち幸福な生活の裂け目から分泌する絶望こそ生活苦と区別される人生苦に他ならない。