道具を超える | 新・ユートピア数歩手前からの便り

道具を超える

道具は常に何かのために在る。ハンマーは釘を打つために在る。道具の存在理由は確固としている。従って、確固とした存在理由が欲しい人は道具になるのが手っ取り早い。「何のために生まれて、何をして生きるのか」というアンパンマンの問いは自分のなるべき道具存在によって解消する。ただし、道具は所詮モノにすぎない。モノとして生きることには人として違和感がある。確かに、道具には確固たる存在理由があるが、それは足枷にもなる。釘を打つためにつくられたハンマーにそれ以外の在り方はない。釘以外のモノ、例えば人の頭を打てば、それはハンマーの誤用であり、ハンマーは正しい存在理由を失う。モノとしてのハンマーはその正しい存在理由から一ミリもズレることができない。ところが、人はズレる。ズレ続ける。たとい道具として生きるとしても、絶えず予め定められた存在理由からズレようとする。恰もズレることに自らの本質があるかのように。それは「ハンマーはかくあるべし!」という他律からの逃走でもある。ハンマーの正しい使用法は客観的に定められているものの、人はそれに縛られない。ハンマーを自由に使おうとする。先述したように、釘ではなく人の頭を打てば、それはハンマーの誤用であり、場合によっては犯罪となる。だから一般的には自らを律し、ハンマーの正しい使用法から逸脱することはない。結果的に、他律にせよ自律にせよ、人は道具存在を超えることができない。言い換えれば、道具として生きる充実以外に人の存在理由は見出せない。それでいいのか。道具存在は盤石であると同時に束縛でもある。人は束縛を嫌う。さりとて束縛から逃走して、人は何処へ向かうのか。逃走は超越ではない。道具存在を超える、全く新しい生き方が求められている。