補助輪の幻
狂っているのかもしれないが、私の目には補助輪が見える。自転車を自由に乗りこなせるようになるまで装着する補助輪だ。神、国家、法律、貨幣……。世界には様々な補助輪がある。自転車の補助輪はやがて邪魔になるが、世界の補助輪はなかなか不要にならない。それどころか益々強固になっていく。誰 もそれらが不必要になる日がやって来るなどとは夢にも思わない。むしろ補助輪とは認めず、社会の維持には不可欠だと信じている。神についてはカルトの狂信者に対する嫌悪と憎悪から無神論が一般的になっているが、「本当」の無神論に耐えられる人は殆どいない。神を補助輪と見做すことは言わば「神の前で、神と共に、神なしで生きる」ことに通じているが、その逆説に満ちた真理は容易に理解し難い。国家、法律、貨幣についても然り。それらの死滅を求めることは今のところ荒唐無稽でしかないが、「人が人間になる」ドラマには不可欠だ。私はテロリストであろうか。もはやテロリストになるだけの若さも元気もないが、テロリストの思耕は中途半端な反撥でしかなく、補助輪がなくなる世界のヴィジョンを全く徹底していない。凡百のテロリズムの愚を繰り返さないためにも、せめてそのヴィジョンだけは明確にしておきたいと思う。