補足:遠ざかる大調和 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:遠ざかる大調和

私の思耕はどうも時代の流れに逆行しているようだ。孤立が深まる。その卑近な一例として最近の高校野球に対する違和感が挙げられる。すなわち、熱中症対策としてクーリングタイムや炎天下の時間帯を避けた二部制などの導入に対する違和感だ。今の高校野球はかつて私が野球少年だった頃に熱中していた高校野球ではない。明らかに変質している。因みにお笑い芸人の大御所である明石家さんま氏も先日同様の違和感を表明したが、たちまち非難が殺到して大炎上してしまった。大略「さんまは最近の気候変動の深刻さを全く理解していない。今の夏の暑さは昔の夏の暑さとは格段に違う。この殺人的に危険な酷暑の下でプレイする高校球児の健康を考慮すれば、少しでも暑さを凌ぐ対策が行われるのは当たり前だ」という非難。この非難は間違っていない。いや、極めて正当な非難だと言える。高校野球の熱中症対策に違和感を覚える方がどうかしている。それにも拘らず、私には違和感がある。高校野球に限らず、何事も「健康第一」に考える社会の風潮に違和感がある。今や殆ど誰も何かを「死に物狂いでやる」ということがなくなってしまった。常に自らの健康を心配している。当然のことだ。極めて当然のことではあるけれども、私には違和感がある。「イノチを懸ける」ことのない社会に違和感がある。「生命尊重」は健全な社会の証かもしれないが、私は「生命尊重以上の価値」を求める。勿論、たかが野球に「イノチを懸ける」のは馬鹿だ。そこに「生命尊重以上の価値」などはない。だから、私は疾うの昔に熱烈な野球少年ではなくなっている。今の高校野球に対する違和感も当時の野球に懐いていた絶対的な情熱へのノスタルジアによるものにすぎないだろう。しかし、「生命尊重」に終始する社会に対する違和感は否めない。この違和感がある限り、「されど仲良き大調和」は遠ざかるばかりだ。