されど仲良き大調和(9)
観光旅行で見知らぬ海外の土地を訪れる。レストランなどで現地の人たちに出遭って仲良くなる。数日間の付き合いで国を超えた相互理解が成立したような気分になる。「何処で生まれ育っても人は同じだ。食って、飲んで、笑えば仲良くなれる」――心からそう思う。そこに「世界の水平化」を見ることができる。善きサマリア人のように、国や宗教の違いに関係なく、困窮している人がいれば躊躇なく助ける。そうした「民衆」のレヴェルで人と人は仲良くなれる。それは「されど」なしの仲良き関係だ。純朴な仲良き関係だと言ってもいい。確かに、それは一つの理想ではある。しかし、垂直先生はそれでは駄目だと言う。そんな表層ではなく深層における仲良き関係を求めるべきだと主張する。もとより表層だから仲良き関係が成立するのであって、深層にまで踏み込めば様々な軋轢が生じるに違いない。せっかくの仲良き関係が崩壊し、喧嘩が始まる。だから賢明な多くの人は互いの深層にまで踏み込むことを忌避し、表層での関係に終始しようとする。その典型がネット上でのSNSの関係であり、そこでは匿名やハンドルネームでの付き合いになる。匿名やハンドルネームは深層にまで踏み込ませないための壁に他ならない。また、最近はAIを最高の友達だと思っている人が増えているそうだが、それもまたAIが表層の友達だからだと思われる。総じて今の若者たちは争いを嫌う余り、結果的に表層の仲良き関係にしがみついているように見受けられる。争いを嫌うのは良い。さりとて少し臆病すぎるのではないか。そこで垂直先生は敢えて「深層に踏み込む勇気を持て!」と叫ぶ。当然、深層に踏み込めば争いになる可能性が高まるが、その軋轢を通じてこそ「されど仲良き関係」が現実のものとなる。実際、喧嘩もしないような相手と「本当」に仲良くなれるだろうか。ただし、喧嘩の後に必ず仲良き関係が成立するとは限らない。表層の仲良き関係に留まっていた方が無難であることは間違いない。この無難な選択を垂直先生は如何にして粉砕するのか。