されど仲良き大調和(8) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

されど仲良き大調和(8)

図らずも原爆をテーマにしたドラマを観た。マトモに生活する可能性を一瞬に奪われた人たちの悲劇。最近も熊本で大きな地震が起きたが、人災と天災の違いはあれ、何気ない日常をマトモに暮らすことの大切さを痛感させられる。究極的な問題など暇人の戯言にすぎない。そう思われても仕方がない。理不尽なことは色々あるが、とにかくマトモに生活できていることを感謝すべきだ。先ずは自分の生活。それから余裕があれば、周囲の人たちの生活に心を配る。そして、この世界からマトモに生活できない人が全くいなくなるように皆で骨を折る。それが「世界の水平化」であり、それ以上の問題はないように思われる。ところが、垂直先生は敢えて究極的な問題に執著する。この執著は殆ど誰にも理解されない。一般的にはマトモな生活を求める水平的問題以上のものはないからだ。垂直先生は孤立を余儀なくされる。誰よりも人間の連帯を求めている先生が孤立する!どうしてこんなイロニーが生じるのか。垂直先生の孤立は天才数学者の孤立とは違う。天才数学者がどんな問題と格闘しているのか、一般的には殆ど理解されていない。とは言え、凡人の理解を遥かに超えているものの、極めて重要な問題であることは間違いない。その成果が稀に凡人の日常生活に役立つ機器の発明に寄与したりすることもあるが、基本的に日常生活とは絶縁している。天才数学者は非日常的な宇宙の神秘と格闘することにおいて孤立する。それに対して、垂直先生が凡人の日常生活と絶縁することなどあり得ない。そもそも垂直先生は天才ではなく、一介の凡人にすぎない。垂直先生もまた水平的問題と格闘している。ただし、それを垂直の次元において受け取り直す運動に究極的な問題があると確信している。そこに垂直先生の孤立がある。殆ど誰も垂直の次元など必要とはしないからだ。宗教を熱心に信じている人はいるが、凡百の宗教の次元は垂直の次元とは関係がない。垂直先生が執著する垂直の次元とは何か。水平の次元にも仲良き関係はあるが、垂直の次元において受け取り直された仲良き関係は質的に異なっている。もとより「前者が低次で後者が高次」だということではない。究極的な問題は水平的問題を超越するが、超越は優越ではない。垂直先生の孤立を甚だ遺憾に思う。