補足:絶対的な色 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:絶対的な色

言うまでもなく、「絶対的な色」という表現は矛盾している。あらゆる色は相対的であり、絶対的な色などあり得ない。余談ながら、或るテレビ番組を観ていたら、黒人差別をする白人ダンサーに対してジョセフィン・ベーカーが「あなたたちの白い肌の下には黒い心があり、私の黒い肌の下には白い心がある」と言ったというエピソードが紹介された。野暮を承知で言えば、彼女の皮肉を込めた心情は理解できるが、その言葉は正しくない。そのままでは依然として「白が善で、黒は悪」という差別に囚われている。尤も、「勝てば白星、負ければ黒星」とか「無実がシロで、犯罪がクロ」など、既に慣習化している表現にまで差別を見るべきかどうかは定かではない。信号機の色のように、それぞれの色には固有の意味が付着しているものの、やはり正しくは「あなたたちの白い肌は純白ではない。私の黒い肌こそ純白だ」と言うべきだろう。しかし乍ら、一般的に純白は最高度の白色としか見做されておらず、あらゆる相対的な色を超越する絶対としては理解されていない。つまり、純白は目に見えないので、「黒い肌こそ純白だ」と言っても意味を成さない。目に見えるのは肌の黒い色だけだ。とすれば、ジョセフィン・ベーカーもまた結局は「Black is beautiful!」と叫ぶしかないのであろうか。もしそれが「黒こそが絶対的な色だ」という意味なら、愚かな白人至上主義者と同じことになる。黒に限らず、肌の色の差別は絶対的な色によって行われる。従って、「どの肌の色も美しい」という相対主義を徹底させるためには絶対的な色を死滅させねばならない。それが純白による浄化だ。ただし、目に見える相対的な色を超越する絶対を純白と称する必然性はないのかもしれない。原理的には、純黒でも純赤でもいい筈だ。最も光に近いという意味で純白はやはり特別なのだろうか。色の慣習的(伝統的)意味の必然性と同様、勉強不足で私にはよくわからない。