補足:神秘的融即 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:神秘的融即

レヴィ=ブリュール(Lucien Levy-Bruhl)は未開人の思惟を神秘的融即と称した。ここで融即と訳されている仏語はparticipationだが、自己を特定の動物や植物だと思い込むような大自然との一体化だと思われる。そこにおいて未開人の人格は大自然に溶け込んでいる。現代人にも「自分は大自然の一部だ」という意識はあるが、自己を失うまでには至らない。人格はしっかりと維持されており、自然を対象化して可能な限り自分たちに快適な自然に改作しようとしている。それは基本的に正しい。自然と一体化している未開人とは異なり、現代人は絶えず自然からズレているものの、そのズレ故に今日の発展がある。剥き出しの自然が美化された自然のパラダイスになる。しかし、自然とのズレは世界を腐敗させてもいる。便利な生活は幸福をもたらすが、便利になればなるほど環境破壊などの腐敗は進行する。一体、何のための発展なのか。AIも含めて、人工的に美化された自然において人は「本当」に幸福なのか。現代人はパラダイスの絶頂でニヒリズムに陥る。その時、未開人の生活が新たな輝きを帯びて見直される。自然との一体化。そこに現代人の活路はあるのか。その可能性を信じる人もいるかもしれないが、やはり未開人に戻るのは不可能だろう。たとい未開人の生活に聖なるものが息づいているとしても、それは言わば失われた楽園にすぎず、そこに現代人の求めるべき聖化のドラマはない。むしろ神秘的融即の破綻から聖化は始まる。