補足:人間のクズ
聖化とは何か。その真理が究極的な理想だと信じてはいるものの、それは結果的に悪を容認してしまうのではないか。その懸念が拭い難く私の胸の裡に巣食う。浄化の真実は悪を徹底的に断罪する。キタナイもの、不正、理不尽なことを世界から一掃し、善人だけが幸福に暮らせる社会を実現する。そこに人間のクズの居場所はない。おそらく、殆どの人はそうした浄化の徹底された社会を歓迎するだろう。至る所に防犯カメラを設置して、一片の悪も見逃さない監視社会の実現。既にそれが現実の理想社会になりつつあるが、それでいいのか。聖化は異議を唱える。残念ながら私はその異議を上手く表現できないので、少し長いがマルメラアドフに代弁してもらう。娘のソオニャを娼婦にした父親は次のように叫んでいる。
「気の毒がる!なんのためにわしを気の毒がるんだ!」とマルメラアドフは、まるでこのことばを待ち構えていたように、極度に興奮した様子で、片手を前へ突き出して立ち上がりながら、ふいにわめき立てた。「なんのために気の毒がることがあるんだ?そうとも!わしを気の毒がるわけなんか毛頭ないとも!わしなんか磔(はりつけ)にせにゃならん人間だ。十字架で磔にするのが本当で、気の毒がるどころの物じゃないとも!しかしな、判事、磔にするのはいいが、磔にしてからわしを哀れんでくれ!そうすれば、わしの方から進んで罰を受けに行くわ。わしは快楽(けらく)に渇しておるのじゃなくって、悲しみと涙を求めておるのだからな!……やい、亭主、きさまはこの小瓶がわしの楽しみになったと思うかい?わしはこの底に悲しみを求めたのだ、悲しみと涙を求めたのだ。そして、それを見出したのだ、味わったのだ。ただ万人を哀れみ、万人万物を解する神様ばかりが、我々を哀れんでくださる。神は唯一人で、そしてさばきに当たる人だ。最後の日にやって来て、こう尋ねてくださるだろう。『意地の悪い肺病やみの継母のために、他人の小さい子供らのために、われとわが身を売った娘はどこじゃ?地上に住んでおった時、酔っぱらいでやくざものの父親をも、その乱行をも恐れずに、気の毒がった娘はどこじゃ?』それからこうもおっしゃるだろう。『さあ来い!わしはもう前に一度お前を許した……もう一度お前を許してやったが……今度はお前の犯した多くの罪も許されるぞ、お前が多く愛したそのために……』こうして娘のソオニャは許されるのだ……許されるとも、わしはもうわかっとる、きっと許されるに相違ない。わしは先ほどあの娘のとこへ行った時、この胸ではっきりとそれを感じたのだ!……神さまは万人をさばいて、万人を許される、善人も悪人も、知恵ある者もへりくだれるものもな……そして、みんなを一順済まされると、今度は我々をも召し出されて、『そちたちも出て来い!』と仰せられる。『酒のみも出て来い、意気地なしも出て来い、恥知らずも出て来い!』そこで、我々が臆面もなく出て行って御前に立つと、神さまは仰せられる。『なんじ豚ども!そちたちは獣の相をその面に印しておるが、しかしそちたちも来るがよい!』すると知者や賢者がいうことに、『神さま、何ゆえ彼らをお迎えになりまする?』するとこういう仰せじゃ。『知恵ある者よ、わしは彼らを迎えるぞ、賢なる者よ、わしは彼らを迎えるぞ。それは彼らの中の一人として、自らそれに価すると思うものがないからじゃ……』こう言って、我々に御手を伸ばされる。そこで、我々はその御手に口づけして……泣き出す……そして、何もかも合点がいくのだ!……そのときこそ何もかも合点がいく!……誰も彼も合点がいく……カチェリイナも……あれも同様合点がいくのだ……主よ、汝の王国のきたらんことを!」
知者や賢者はマルメラアドフの如き人間のクズが救われることに合点がいかないだろう。浄化の真実を愛する者は当然そう思うに違いない。人間のクズは地獄に堕ちるべきだ。それにも拘らず、聖化はそんなクズどもも決して見棄てない。聖化の恩寵は人知を遥かに超えている。そのドラマは永遠に続く。