蓼食う虫の懸念(4) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

蓼食う虫の懸念(4)

心優しき蓼食う虫は人から「蓼食う虫も好き好き」などと嗤われながらも、その諺通りの社会の実現を求めてきた。「君は君、我は我也。されど仲良き」という自他共生社会の実現だ。幸いなことに、世の中はいつの間にか多様性が尊重されるようになり、かつては変態と罵られていた人たちもその「生き方」が社会的に認められるようになった。もはや蓼食う虫もLGBTQも(と同列に扱うのは失礼だろうか。しかし、「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんな、みんな、生きているんだ、友だちなんだ」とすれば、全く問題ないだろう。むしろ、失礼だと思う方に問題がある)その「特異な好み」故に否定されることはない。とは言え、この「ナンデモアリ」の現状が蓼食う虫の求めてきた社会なのだろうか。確かに、これまで蓼食う虫はその「特異な好み」によって虐げられてきた。「どうしてあんな不味いものを食べるのか。信じられない!」とバカにされ、差別されてきた。それが曲がりなりにも「君は君、我は我也」として蓼食う虫の「特異な好み」が認められたのは大きな進歩だと言える。しかし、その進歩は「されど仲良き」という調和にまで発展しているのか。多様性が尊重される現代社会の真実は「本当」に自他共生の理想を実現しているのか。全ては自助努力の賜物であり、貧乏になるのも、金持になるのも、それぞれの多様性だとされるなら、その自由放任はむしろ競争社会を助長するに違いない。さりとて富の平等を強制する一様性の社会に自他共生の理想があるとも思えない。戸惑う蓼食う虫の懸念は続く。