秘すれば花
最近の日本のドラマには韓流ドラマのリメイクが目立つ。面白ければリメイクされるのは当然であり、そのこと自体に問題はない。しかし、私はその面白さに違和感を懐く。決して面白くないわけではない。日本にも熱烈な韓流ドラマのファンがいる事実からしても、その面白さを否定することなどできない。それなのに私には違和感がある。韓流ドラマをよく観ていないだけの単なる偏見(食わず嫌い)にすぎないかもしれないが、感情の表現がストレート過ぎるような気がしてならない。例えば、現在放送中の韓流リメイクのドラマに『10回切って倒れない木はない』がある。その題名は韓国の諺とのことで、要するに「ネヴァーギブアップ、絶対に諦めるな」という意味のようだ。同様の諺は日本にも他の国にもあるが、私は最初それを間違って記憶した。ドラマのテーマは「10回切っても倒れない木」にあると思い込んでいたからだ。すなわち、実際のドラマが「木を何とかして倒そうとする」観点から描かれているとすれば、私は無意識の裡に「如何なる暴力にも屈することなく、正しく立ち続ける木」のドラマを期待していたのだ。この差異は何を意味するか。率直に言って、私は未だそれを十分に理解できていないが、取り敢えず韓流ドラマが主に「目に見える敵との戦いをストレートに描いている」のに対し、私の求めているドラマは「目に見えない得体の知れない何かとの闘いを虚実皮膜に描いている」と言っておく。余談ながら、韓流ドラマと同様に目立つのが、マンガを原作にしたドラマだ。韓流ドラマもマンガも「目に見える世界」を中心にしている点で共通しているのではないか。「目に見える世界」のドラマだからこそ、その展開が痛快でストレートに感動できると思われる。それが悪い道理はない。現代人は何かと忙しいので、手っ取り早くストレートに感動できるドラマを渇望しているのであろう。それは「お笑い」についても言える。何事もインスタントが主流になりつつある。この流れに抗することは容易ではないが、私は性懲りもなく「目に見える世界」と「目に見えない世界」とに引き裂かれている。そして、その葛藤を描くドラマを熾烈に求めている。