補足:二つの有用性
私的領域における有用性と公的領域における有用性は全く異なる。一般的に有用性と言えば前者であろう。日常的に生活する上で役に立つことだ。それに対して後者の有用性は、厳密には殆ど消滅している。公的領域そのものが絶滅に瀕しているからだ。勿論、公的に役立つ労働に従事している人たちはたくさんいる。しかし、その有用性は一般市民の私的生活に役立つものに他ならない。つまり、あくまでもそれぞれの私的領域が主であって、公的領域はそれを補完するもの、言わば私的領域に従属するものにすぎない。従って、純粋な意味での公的領域は殆ど失われている。これは世俗化された社会の帰結でもあるが、多くの人はその現実を今や当然のこととして受け容れている。歓迎していると言ってもいい。自分たちの私的領域を超越する公的領域に生きる。例えば、「御国のために生きる」とか「大義に殉じる」ということは極めて陳腐なものとなり、そこにはファシズムの亡霊しか見出さない。皆、自分たちの個人的な生活、せいぜい自分たちの家族の生活を第一に考え、それ以上の幸福はないと思っている。「本当」にそうだろうか。公的領域を重視する滅私奉公的な生き方に批判的でありながら、さりとて私的領域に埋没するエゴイズムにも疑問を懐いているのではないか。そして、心ある人は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福もあり得ない」という賢治の言葉に深く共感していると思われる。果たして、「世界がぜんたい幸福になる」とは如何なることか。それは「個人の幸福の集合体」というような量的なものではない、と私は思う。私的領域とは質的に異なる純粋に公的な次元、その有用性について改めて思耕したい。