人の有用性(3)
人は誰しも幼い頃から「社会の役に立つ人になれ」と言われて育ってきた。森進一往年のヒット曲『おふくろさん』でも「お前もいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた、あなたの真実」と歌われている。子供だった私は「ケッ」と鼻で嗤って聞き流していたが、自分が老人になった今、その「真実」について改めて考えてみたい。「世の中の傘になる」とは如何なることか。それは「困っている人の助けになる」ということであろう。医者、消防士、警察官といった職業がすぐに連想されるが、誰もがそうした職に就けるわけではない。能力や適性の問題がある。しかし、厳密に言えば、あらゆる職業は「誰かの役に立つ」ことで成り立っている。モノが売れるということは、そのモノを誰かが必要としているからだ。必要のないモノを無理に売りつけるのは犯罪だが、新たな必要を生み出して新しきモノを売るのは社会を発展させる。例えば、かつてはスマホなんか必要なかったのに、今ではスマホなしの生活など考えられない。世の中の傘は益々大きくなるばかりだ。されど、これは「本当」に社会の発展だろうか。アルコール中毒者は酒なしでは生きられないが、アルコールに依存する生活は人の「本当」の必要に基づいているのか。確かにスマホは便利なモノであり、私はその必要性を否定するつもりはない。しかし、そこにはスマホ中毒に陥る危険性があることも事実だ。今までなかった新しきモノを創るのは社会の役に立つ。自動車、飛行機、様々な電化製品を始めとする機械の数々。それらは人の生活を飛躍的に便利で快適なものにしてきた。それは真実だが、便利や快適の追求に比例して必要なモノがどんどん増えていく。結果、その新たな必要性に追い付けない人たちは社会における有用性を失うことになる。実際、人にはもはや「道具として生きる」必要性はなくなりつつある。殆ど全て機械がやってくれるのであって、人はただその機械の操作法(道具として使用する方法)に習熟すればいい。今や「社会の役に立つ」のは専ら機械であって人ではなくなった。人の有用性が必要とされなくなった社会は何か狂っている。