場所を充実させる場の力(4)
東京で駄目なら名古屋があるさ
名古屋が駄目なら大阪があるさ
越後で駄目なら津軽があるぜ
津軽が駄目でも北海道があるさ
水前寺清子はそう励ましてくれるが、北海道でも駄目なら何処へ行けばいいのか。アメリカへでも行くか。けれども、無闇に「最適の場所」を求めて彷徨い続けても埒が明かないだろう。そもそも東京で一旗揚げようと夢見たのがいけなかったのかもしれない。東京へゆくな、ふるさとを創れ。さりとて夢を見るのが悪いわけではない。むしろ、それは不可避だ。「東京で勝負したい!」という野望を誰も抑え切れない。勝負を避けて平穏無事な毎日を維持しても退屈なだけだ。ただし、勝負を懸けるのはいいが、勝負の場所を変えても根源的な問題の解決にはならない。重要なことは場所を変えることではなく、場所を充実させることにある。私はそう思う。東京でも生まれ故郷の田舎でも外国でも何処でもいい。更に言えば、場所を一つに限定する必要もない。好きな場所へ行けばいいし、行かなくてもいい。ひたすら場所を充実させることに集中せよ。では、「場所の充実」とは何か。私は二つに分けて考えたい。水平的充実と垂直的充実だ。前者は「最適の場所」として、後者は「ふるさと」として、それぞれ求められる。そして、二つの充実が相即して「理想の場所」が創られる。「ふるさと」を欠いた「最適の場所」は単なる金儲けの地にすぎない。逆に「最適の場所」から取り残された「ふるさと」は限界集落と化す。「最適の場所」ばかり求められる昨今、当面は「ふるさと」の復活に注目すべきだ。故郷喪失は今や難民だけの問題ではない。