補足:冷たくしないでよ
私は自分の致命的な課題をよく自覚している。対幻想の欠如だ。愛する人との関係性を深く掘り下げることなく、個人幻想と共同幻想の間を徒に彷徨っているにすぎない。だから、いとも簡単に「家庭の幸福」以上の「本当」を問題にすることができる。実際、殆どの人は「家庭の幸福」を踏み越えねばならぬ「本当」を理解しないだろう。そんな「本当」よりも「家庭の幸福」に安住する方を選ぶ。その安住こそ人生の「本当」だと確信している。それに対して私は如何なる反論ができるのか。余談ながら、CHIHIROという歌手の『冷たくしないでよ』という曲を最近よく聴いている。若い女性(私の勝手なイメージでは女子高生)の切ない片想いの心情が如実に歌われている。好きな人ができる。幸い、付き合うようになる。至福の日々。けれども、何だか最近彼との温度差を感じるようになる。秒で返っていたメールやLINEの返信も今では何時間待っても届かない。嫌われたのか。彼に好きな子でもできたのか。半ば諦めながらも一縷の望みを棄て切れない。そんな苦しみの中で、この良くない状況を何とかして打開する可能性を信じようとする。老人の私にはもはや無縁の心情ではあるが、片想いする女性の恋の切実さは伝わってくる。この恋する女性は「本当」に生きていないのか。そんな筈はない。恋にだって命を懸けることはできる。彼女は確かに「本当」を生きている。ただし、それは水平の「本当」であって、キルケゴールの実存弁証法に即して言えば美的段階の「本当」に他ならない。問題はその先の段階の「本当」だが、それをどう表現すればいいのか。