補足:相対主義の理想 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

補足:相対主義の理想

山の頂上は一つだが、そこに至るルートは複数ある。宗教の多様性を説明する際によく用いられる譬喩だ。神は一つだが、そこに至る宗教は複数ある。しかし、山の頂上は一つでも、そこで見る光景はルートによって異なるのではないか。険しいルートを踏破して見る光景とロープウェイで登頂して見る光景。同じである筈がない。神は一つでも、その顔は幾つもある。どれが「本当の顔」なのか。神の幾つもの顔は現象であって、神の本質は一つだ。その認識が答えになるだろうか。目に見えない本質は頼りにならない。人は目に見える現象で判断する。かくして宗教対立はなくならない。むしろ、ますます激しくなるばかりだ。神の本質が一つであることを強調するバハイ教のような試みも結果的に一つの現象に成り果てている。こうした絶望的な現実は何も宗教に限ったことではない。山の譬喩とは視点が逆転するが、「ふるさと」と「論理」の関係も同様だ。すなわち、人類の「ふるさと」は一つだが、そこから現象するそれぞれの民族の「論理」は複数ある。その「論理」の次元で人々は対立する。君の「論理」は君の「論理」。我の「論理」は我の「論理」。されど仲良き、という相対主義の理想は有効なのか。余談ながら、先日のNHKスペシャルでは国際協調の理念で始まった核融合計画が直面している課題を報じていた。それは、この夢のようなプロジェクトが生み出す巨大な利益を独占しようとする大国の「論理」に他ならない。国際協調の理念は死んでしまうのか。相対主義の理想には何かが欠けていると思わずにはいられない。その何かを掴むために理想は一線を越える。