補足:場所の超越
地に足がついていない。「これからは研究より実践だ!」と偉そうなことを言っておきながら、いつまで経っても私は実践に辿り着けない。実践の数歩手前で、実践に至る理路について繰り返し思耕しているだけだ。今の私に必要なことは地に足をつけること。「場所の超越」などという訳の分からぬ御託を並べていないで、一つの場所に根付くことではないか。現代社会の危機的諸問題が全てパラダイスの追求に端を発していることを考えれば、パラダイス批判の根拠地に立つことが要請されている。それはアルカディアを再生させる場所であり、具体的にはやはり故郷であろう。ところが、私の求めている実践はアルカディアの再生に尽きるものではない。一時的にアルカディアを再生できても、パラダイスの魔力を封じ込めておくことはできない。故郷喪失は不可避だ。それは全世界の人に共通する普遍的な問題に他ならない。ドイツ人の故郷喪失と日本人の故郷喪失は通底している。しかし、ドイツ人の故郷と日本人の故郷は違う。そこで私は故郷と「ふるさと」を区別せざるを得なくなった。故郷はそれぞれ異なるが、「ふるさと」は共通している。当然、この「ふるさと」は特定の場所に限定されない。その意味において、場所を超越している。「何処にもない場」としての「ふるさと」をそれぞれの場所に故郷として根付かせる。では、「ふるさと」とは何か。場所を超越する存在の根柢への問い。「下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬところへ、暗黒のみちるところへ」。まだ当分、実践に辿り着けそうにない。あるいは、これが私の実践なのか。いや、それはやはり自己正当化の詭弁でしかないだろう。