補足:合理化と異化
異化はどのように生まれるのか。余談ながら、2007年に放送された朝ドラ『どんど晴れ』の再放送を毎朝観ているが、今は老舗旅館の改革をめぐる軋轢が描かれている。横浜の大きなホテルで精力的に働いていた男(主人公の女性の婚約者)が生まれ育った盛岡の老舗旅館を継ぐ決心をする。そこはかつて自分の母親(既に他界)が女将をしていた実家でもある。近代的なホテルから伝統的な老舗旅館へ。その転向にはそれなりの覚悟があったと思われるが、彼が最初に着手したのは赤字続きの老舗旅館の経営改革、具体的には板場の無駄の多い仕入れの是正であった。言わば経営の合理化だ。無駄を省く。健全な経営にとって当然のことだ。ところが、その改革は板場を中心とした大きな反撥を招く。何故か。無駄が多いのは事実だが、そうした仕入れの仕方が老舗旅館の伝統だからだ。これに対して、強引に改革を推し進めようとする男には伝統が目に入らず、そこには悪しき慣習しかない。伝統か、悪しき慣習か。その見極めは難しい。建設業界の談合もそうだが、伝統の名の下に既得権益という甘い汁を吸っているだけの場合もある。男の改革がどのような結果を導くのか、今後のドラマの展開を見守るしかないが、それが老舗旅館の経営にとって異化の働きをしているのは間違いない。ただし、その改革が伝統を無視して単なる合理化に終始するようなものであれば、それは真の異化とは認められない。もしコスパとかタイパというような合理性だけの改革であるのなら、老舗旅館はどんどんホテル化していくだろう。伝統は失われ、効率性だけが追求される。さりとて無駄の多い伝統を容認すれば、老舗旅館は一部の富裕層のみが利用できる場所に堕していくに違いない。伝統への同化とそれに対抗する合理化。異化は合理化を超えていく。