同化と異化(8) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

同化と異化(8)

世の中は概ね多数決で動いていく。選挙も一票でも多く獲得した者が勝者となる。そして、その結果は民意の表明と見做される。多数派の意見が民意――それが民主主義の原理だ。しかし、そこに真理はあるのか。真理は多数決で得られるのか。そもそも多数決と言うけれど、それぞれの一票の重さは違う。チャラチャラしたミーちゃんハーちゃんの一票と学識あるエライ先生の一票が同じである筈はない。これは差別であろうか。余談ながら、いつの間にか冬季オリンピックが始まったが、スピードや距離を競う種目の勝敗は誰の目にも明らかであるのに対し、判定による種目の勝敗は素人にはよくわからない。例えば、フィギュアスケートの厳正なる審判員になるためには、それ相当の知識と経験が要求されるだろう。単なるフィギュアのミーハーに務まるわけがない。選挙も同様…と言いたいところだが、選挙は特別な芸術性や技術性を判定するものではない。日常生活には専門家も素人もない。もし政治経済に詳しい専門家だけで選挙が行われるなら、それはやはりおかしなことだ。ミーハーだって生活していることに変わりはない。むしろ、専門家の先生方の深い学識も、ミーハーを含めた一般庶民の幸福を目的としているに違いない。少しでも給料が上がり物価が下がること、総じて日常生活の平和と安定の要求が民衆の真実であって、選挙で問われるのはそうした民意としての真実に他ならない。真理ではない。選挙に真理を求めることは、理想を求めることと同様に野暮なことだ。しかし、それにも拘らず、世界に真理を求めるとしたら、一体どのような道があるのか。多数決の選挙では決められない。そこでは同化が余儀なくされるからだ。真理への道は同化する九十九匹の羊ではなく、異化する一匹の迷える羊に開かれている。