同化と異化(7) | 新・ユートピア数歩手前からの便り

同化と異化(7)

ジョン・レノンも「世界が一つになる」夢を歌っているが、それは同化によるものではない。強いて言えば、無化によるものだ。天国や地獄を語る宗教も生産や所有を競う国家もない世界が理想とされている。確かに、そこでは同化も異化も問題にならない。争点になるものが何もないからだ。全ての人は日々平穏無事に暮らしている。しかし、それは言わば無色透明の存在として生きることではないか。そのように無化された人たちの世界が一つになることは容易にイマジンできる。当然だとも思う。ただ、私はどうしても共感できない。むしろ、同化と異化が拮抗する世界を望む。そうした世界が一つになるのでなければ意味がない。多数派が少数派を同化したり、その逆に少数派が多数派に対して異化を試みたりする世界はますます分断を深めていくばかりだ。その絶望的現状に比べれば、レノンのイマジンする理想世界は引き続き多くの人を魅了し続けるに違いない。その魅力は何処かエスペラントに似ている。エスペラントを創ったザメンホフもまた「世界が一つになる」夢を懐いていた。ただし、よく誤解されることだが、それは全ての民族語を廃してエスペラントだけにすることではない。成程、全世界の人がエスペラントだけを話すようになれば、世界は確実に一つになるだろう。しかし、そのような世界の統一はザメンホフの夢ではない。エスペラントの主たる役割はあくまでもpontlingvo、すなわちそれぞれの民族語の橋渡しをすることに他ならない。エスペラントは断じて様々な民族語を無化しない。それどころか、絶滅に瀕している少数民族の言語を救おうとさえしている。何れにせよ、我々は同一性と差異性の関係について改めて考えなければならない。差異性を無化すれば同一性が残るが、それは「全ての牛を黒くしてしまう暗闇」にすぎない。さりとて同一性を無化すれば差異性だけが残り、世界は分断を余儀なくされる。レノンの夢見た無化の理想を超えることは想像以上に厳しい。